167 実際、或る人たちは、次のことを意見する:諸々の身体が女たちの腹の中で準備され形成されたまさにそのとき、諸々の魂が創造され、その既に形成された挿入されると。それらの事柄を感知する人たちは、諸々の聖なる文書から諸々の明白な証明を適応できないことに加えて、更に創造主の不正をある意味で責めている――(創造主は)平等に、すなわち、命の平等な諸々の暮らしをすべての者たちに授けていないとして。実際、魂は、創造されると直ちに、それまで自身の中に如何なる過失も犯していなかったのに、ときとして盲目の身体に、あるいは、他のときには不具な身体に――もしもそう起これば――挿入されるが、他の諸々(の魂)は、健康でより強壮な諸々(の身体)に挿入される;そして他の諸々(の魂)には、命の長大な時間が授けられるが、他の諸々(の魂)には極めて短い(命の時間が授けられ、その結果(諸々の魂が)、生まれると同時に身体から追い出されるときもある;そして他の(諸々の魂)は、野蛮で農村的な何らかの暮らしへと、しかも人間的なものや誠実なものが何もなく、、そして万事に超えて、父祖的な迷信の不敬虔が支配する暮らしへと導かれる;他方、他の(諸々の魂)は、誠実でしらふで人間的な男たち許へ、しかも諸々の人間的な法律の遵守が有効な男たちの許へ、更に時として、宗教的な両親たちの許へ、しかも高貴で誠実な教育や、更には理性的教示が伝達される両親たちの許に(導かれる);したがって、それらの事柄の主張者たちは、そのような諸々の事柄の中で神的な摂理が正しく万事を経綸し、正しく善い神の(摂理)として平等な天秤皿で調整ていることを指摘できるだろうか、と。

 

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