168 他方で、諸々の魂は伝導から来るのであり、そして、それらは身体的な種と共に播種されると断言する人たち――確かに、彼らのある人たちが主張するのが常のように、魂は神の霊の吹込み、すなわち作られるべき世界の元の中で、神がアダムに吹き込んだと言われる吹込みに他ならないと彼らが言い[1]、その魂が神の実体それ自体に由来すると公言するならば――どうして彼らも、ある仕方でそれらの事柄の点で、()文書の規則と敬神の理拠とに反して次のことを主張するように見られないだろうか:神の実体は、神の実体に由来する魂が罪を犯すなら罪を犯し、その上さらにそれは罪の故に諸々の罰に服すはずであるである、と。そればかりか彼らは、次のことに行き着くこと――これはまったく馬鹿げたことである――を見ない:もしも魂が身体と同時に播種され、あるいは、形成され、あるいは、生まれたのであれば、それは身体と共に死ぬこと、そして、死すべきものであることは必然であると。



[1] Cf.Gn.2,7.

 

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