171 しかしながら、それらすべての諸々の事柄から明示されることを我々が望んでいるものは何か。それは確かに次のことである:我々が上に提示した諸々の意見の中から一つの任意の意見を真実なものと考える人たちを――諸々の神的な文書から何かしら確実なこと明白に言われているようには見えないが故に、また、教会的宣教の中に含まれているようには見えないが故に――異端者たちと呼ぶことは正しい理拠によることでないのと同様に、自分に見思された事柄を議論するこの人物は批難されるべきであるとするのは正しいことではない――取り分け彼が、魂の(信仰)告白に関して教会の中あらゆる仕方で保持されるべきことを、特に保持していたにもかかわらず:すなわち彼が、諸々の魂に様々な諸々の本性は存在しないと主張しているにもかかわらず[1];それどころか、むしろ彼は、(そのことを)言う人たちを反駁し、激烈な主張によって論駁している。他方、彼自身は、次のことを認めている:すべての諸々の魂は(同じ)一つ実体を持ち、不死的で理性的であり、自由な意向と意志を持ち、また、この生活の中でそれらが為した諸々の事柄の故に裁かれねばならないこと;しかしそれらは、宇宙万物を創造し設置した神によって造られたこと。しかしいつそれらが、かつて同時に、あるいは、生まれる者たちの一人ひとり毎にその都度に造られたのか、二つのいずれか一方を意見することにどんな危険があるのか。



[1] オリゲネスはしばしばグノーシス派を反駁する。『フィロカリア』2127(拙訳)を参照せよ。

 

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