27 次のことも、教会的宣教の中に含まれている[1]。すなわち、神の使いたちと善き諸々の力が存在し、彼らは、人間たちの救いを完成させるために、神に仕えている。しかし、そえらはいつ造られたのか、どのような者なのか、どのように存在するのかは、十分明確にされていない。さらに。太陽と月と諸々の星について、それらが魂を持つのか、それとも魂を持たないのかは明白に伝えられていない。

 したがって、それらすべての事柄の理性的考察から或る一貫性と体系を完成したいと願う人は、「あなた方は、あなた方のために知識の光をともしなさい[2]」と言う命令に従って、以上の諸々の事柄をいわば諸要素と諸基礎として使用しなければならない。それはその人が、明白で必然的な諸々の主張によって、個々の事柄に関して、それらが真実に何であるかを探り、諸々の範例と諸々の主張−−それらの範例と主張は、聖なる諸文書の中にその人が見出すものであれ、論理的帰結という引き網と正しい推理とによってその人が発見したものであれ――によって一つの体系を作り上げるためである。



[1] 『諸原理について』序文10

[2] Cf.Os.10,12.

 

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