38 とにかく以上の諸々の事柄が、彼によって、すべての教会的な教説に関して総括的に言われた。しかし、続けて我々は、個々の事柄に関して、特に諸々の始元的な事柄に関して、聖にして幸いな三位すなわち父と子と聖霊に関して、彼が考えていたことを明らかにし、彼が自分の作品の様々な巻の中に含まれるように命じた諸々の事柄を公にしよう――それは、きわめて偉大で神聖な諸々の事柄に関する彼の判断がどのようなものであったかが明示されるためであり、自分自身の弁護の一切の言葉が、彼自身の諸々の声からなる二つないしは三つの証言に立脚するようになるためである[1]



[1] Cf.Dt.19,15.

 

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