56 しかし、神のみ言葉あるいは神の知恵に始まりを与える人は、むしろ、生まれざる父ご自身に不信心を投げかけているのではないか、あなたは考察すべきである。なぜならその人は、彼が常に父であり、以前の諸々の時代であれ、以前の諸々の代であれ、名づけられ得るどんな時にも、み言葉を生み、知恵を持っていたことを、否定しているからである[1]



[1] 本節は、『諸原理について』第12,3以下からの抜粋である。

 

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