68 したがって我々が考えるところによれば、悪を受け得ない本性はまったくない。とはいえ、悪を受け得ない本性はまったくないと我々が言ったからといって、我々が直ちに、一切の本性が悪を受ける、すなわち悪い本性として作られているとは断言しない。むしろ、人間の一切の本性は、航海し得るということを受けると言うことができるが、そのことからさらに一切の人間は航海したわけではないのと同様に、さらに、一切の人間には、修辞術や医術が可能であると言うことができるが、そのことから一切の人間が医者や修辞学者であることが明示されないのと同様に、我々が、悪を受け得ない本性はまったくないと言っても、そのことから直ちに、それが悪を受けたということは示されない。また他方、善を受けない本性はまったくないが、そのことから、一切の本性はそれが善であることを受けたということは証明されないだろう[1]



[1] 本節は、『諸原理について』第1巻8以下からの抜粋である。

 

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