76 もしも聖霊が、御子が啓示することによって、御父を覚知し、したがって彼が無知から知識に至るとするなら、そのことを聖霊に認め、無知を彼に帰すことは、間違いなく不敬であるとともに、愚かなことである。実際、彼は、以前は聖霊以外の他の何かであったが、進歩を通して、聖霊になるに至ったのではない――まるで彼が、まだ聖霊でなかったとき、御父を知らなかったが、その知識を受け取った後に聖霊にもなったと、敢えて人が言うかのように。そうであるとすれば、とにかく決して彼自身は、三位――すなわち互換不可能な父なる神とその子――の一性における聖霊であることはないだろう――実に彼自身が常に聖霊でないとすれば[1]



[1] 本節は、『諸原理について』第13以下からの抜粋である。

 

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