82 使徒パウロは、「神の諸々の深みさえ探り究める[1]」聖霊を通して、「神の神的な知恵と知識との高み[2]」を探ったが、終極まで、そして――言ってみれば――最内奥の認識にまで到達する力を持っていなかったので、事柄の絶望と驚愕とによって叫び、「ああ、神の知恵と知識との豊かさの(何という)高さ![3]」と言っている。そして、完全な把握のどれほどの絶望によって、彼が次のように言っているか、あなたは聴くべきである:「神の諸々の裁きは、どれほど探りがたいか。そして、彼の諸々の道は、どれほど調べられるだろうか[4]」と。すなわち彼は、神の諸々の裁きを探るのは難しいと言ったのではなく、まったくできないと言ったのである。彼は、彼の諸々の道を調べるのは難しいと言ったのではなく、調べることはできないと言ったのである。実際、人は、探求によってどれほど前進し、激しい熱意によってどれほど進歩するとしても――神の恩恵によって助けられ、理解を照らされても[5]――、探し求められている諸々の事柄の完全な終極に到達することはできないだろう。また、造られた一切の精神も(それを)把握することはまったくできない。彼が、探し求められている諸々の事柄の中からある程度の事柄を見出したとしても、彼は再び、探し求められるべき諸々の事柄を見る。そして、たとえ彼がそれらの事柄に到達したとしても、探し求めらるべき諸々の事柄の中から、さらに多くの事柄を、彼は目にするだろう。

それゆえ、もっとも賢明なソロモンも、諸事物の本性を知恵を通して見極めて言っている:「私は賢者になると言った。そして知恵そのものは、私から遠いものになった。以前よりも遠いものになった。そして誰が深遠な深みを見出すだろうか[6]」と。そればかりかイザヤも、諸事物の諸々の始めが死すべき本性によって見出され得ないこと、また、人間的な本性よりも神的な本性(のもの)たちによっても――それら自体が作られたもの、あるいは創造されたものであるため、それらのいかなる本性によっても――(諸事物の)始まりと終わりは見出されないことを知っていたため、次のように言っている:「存在した以前のものをあなた方は言いなさい。そうすえれば私たちは、あなた方が神々であることを知るだろう。あるいは、これから存在する諸々の新しいこと(を言いなさい)。そのとき私たちは、あなた方が神々であることを見るだろう[7]」と。実際、ヘブライ人の教師も、次のように伝えていた:万物の諸々の始めや終わりは、ひとえに主なるイエス・キリストと聖霊とを除いて、いかなるものによっても把握され得ないが故に、イザヤは、幻の形象を通して次のように言った――二つのセラフィムだけがいた。彼らは二つの翼によって神の顔を隠し、二つ(の翼)によって諸々の足を(隠し)、二つ(の翼)によって飛んでいた[8]。そして互いに叫んで言い合った:「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。全地はあなたの栄王に満ちている[9]」――と。したがって、二つのセラフィムだけが、おのおの、神の顔の中ち、彼の諸々の足の中で自分たちの翼を持っているのであるから、次のことを敢えて表明すべきである:聖なるみ使いたちの軍団[10]も、聖なる諸々の玉座も、諸々の支配も、諸々の主権も、諸々の権能も[11]、万物の始めと宇宙の終わりを完全にすることはできない、と。しかし次のことが理解されねばならない:すなわち、我々が枚挙したそれらの霊たちと力たちは、諸々の始まりそれ自体にもっとも近くあって、他の者たちには達成できないところにまで到達することができる。しかし彼らは、神の子と聖霊が啓示することによって、それらの力たちが学ぶことがどれ程のものであっても、また、どれほど多くの事柄を獲得することができても、そして、彼らが優れた者たちとして、劣った者たちよりもはるかに多くの事柄を獲得することができるにしても、すべての事柄を把握することは彼らに不可能である。実際、「主の諸々の業の中のどれ程多くの事柄が、諸々の秘密の中にあることか[12]」と書かれている。

それゆえ次のことが望ましい:すなわち各人は、その諸々の力に応じて常に、「後ろにある諸々の事柄を忘れつつ、前にある諸々の事柄に」――より善き諸々の業にばかりでなく、より純粋な意味と理解にも――我らの救い主なるイエス・キリストを通して「身を伸ばす[13]」ことです。彼に、「栄光が代々にありますように[14]」。



[1] Cf.1Co.2,10.

[2] Cf.Rm.11,33.

[3] Rm.11,33.

[4] Rm.11,33.

[5] Cf.Ep.1,18.

[6] Qo.7,23-24.

[7] Cf.Is.41,22-23.

[8] Cf.Is.6,2.

[9] Is.6,3.

[10] Cf.Lc.2,13.

[11] Cf.Col.1,16.

[12] Si.16,21.

[13] Ph.3,13.

[14] Rm.16,27. 本節は、『諸原理について』第43以下からの抜粋である。

 

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