c結論

カッシアヌスにとって、最高の完徳は、精神(nou/j)に固有の活動たる観想である。この精神という言葉は、人間が神と関係を結び、神を見る能力を表している。しかし観想が魂を完全に満たすのは、ただ彼岸においてのみである。最高の完徳、それはまた、愛でもある。それによって自由意志は、すでに現世にありながら、その安定性を善のなかに見出す。そして、その愛によって魂は、神に完全に寄りすがり、永遠にあり続けるものの幾ばくかを見る。愛と観想とは、したがって、永遠のいのちの先取りであり、神の国の先取りなのである。

「来るべき代には、・・・ すべての人が、心の永遠なる清らかさの内に、雑多な活動的生活から神の愛へと、そして神的事柄の観想へと過ぎ越していく(31)」。

愛あるいは聖性がすべての者に与えられるとしても、この観想は、この世では幾たりかの者にしか与えられない。

 

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