悪徳に対する戦い

 

ジョルダノ・ド・サクスによると、カッシアヌスの「師父たちの講義」(Collationes)は、悪徳を扱っている。おそらくジョルダノは、この「悪徳に対する戦い」という表題のもとに、「共住修道会則」(Institutiones)をも含ませているだろう。なぜならカッシアヌスが八つの悪徳を深く掘り下げて分析するのは、まさにこの後者の著作だからである(1)。それらの著作をとおして、悪徳の一覧表と霊的戦いの教説が西欧に紹介されることになった。

この戦いを助けるために、カッシアヌスは、悪徳を一つひとつ分析することを提案している。彼は、いわば霊的記号論に関する小論を作成しているのである。外的人間の注意深い観察が内的人間の認識を可能にするという原理が、彼の叙述を支えている。

したがってカッシアヌスは、エジプトの修道士たちを師として人間の心を探求した。彼は、これらの霊的医師から悪徳を見抜き、それらを治療する術を学ぶ。実際、これらの指導者たちの教えの目的は、彼らの弟子たちに、「悪徳の本性とそれらを癒す方法」を教えることであった。なぜなら「我々はみな、(諸情念の)侵略を受け、それらの情念が我々一人ひとりの内に篭城しているにもかかわらず、全世界はそれら(の情念)を知らない(2)」からである。彼ら指導者たちは、自分たち自身の経験に教えられて、はじめて他の人たちを教えることができた。

「理性の働きによって教えられるばかりでなく、哀れな魂が苦しんでいる悪徳の軍団とその攻撃力の実例に教えられて、我々は、敵の数多の策略と罠とを避けるためにより慎重になる(ことができる)。

未経験者たちが自ら被りあるいは被るのが必定の悪徳からの攻撃を見抜き、それを白日の下に晒すことができるよう、エジプトの師父たちは、自分たちがいまだに堪えている悪徳について語り、悪徳からの攻撃を分け隔てなくすべて明らかにする。このようにして彼らエジプトの師父たちは、あらゆる情念が引き起こす幻想、初心者たちに付きものの思い違い、熱心極まる者たちの錯覚を曝け出す。と同時に、未経験者たちは、自分たちがあたかも鏡に映して見るかのように目の当たりにする自分たちの戦闘の秘訣を教えられ、自分たちが打撃を受けている悪徳の原因と治療法とを学ぶ。そして未経験者たちは、それらの悪徳が生じる前に、どのようにして来たるべき戦闘に備え、また、どのようにして戦士としてそれらの戦闘に立ち向かうべきかを学ぶのである。医者のなかでも、もっとも経験豊かな者たちは、目下の病を治すことだけに満足しない。彼らはさらに、将来の病に立ち向かい、数々の処方と救いをもたらす薬とによって、それらの病を未然に防ぐ。それと同じように、魂の正真正銘のこれらの医師たちも、心の病が生じる前に、霊的講話において、いわば天上の解毒剤によってそれらの心の病を前もって破壊し、かつそれらの病が未経験者の精神のなかに進行するのを許さず、初心者たちを脅かす諸情念の原因と健康をもたらす治療薬とを、彼らに明瞭に知らせるのである(3)」。

師父たちは、自分たちの講義のなかで、各々の病のさまざまな形態を明らかにし、それらの起源と原因とを究明し、適切な手当を施した。話を聞いた未経験者たちは、こうして自分たちを蝕む悪徳から癒され、それらの悪徳のなかに古人の語っていたことを認めたのである(4)。

カッシアヌスが報告する砂漠の師父たちの教えは、知性に訴える知識ではない。それは回心の道であり、神の道、救いの道である。砂漠の師父たちの学舎に身を置く者は、まさにこの罪の体験をとおして、また、悪徳が心に及ぼす影響力の自覚をとおして、憐れみの体験、神に結び付ける揺るぎない絆の体験を得るのである。

人間の心の探求、人間の心を苛む病の叙述、それを癒すためにもたらされる治療薬、一口に言えば、良心の清らかさへと導く霊的戦いの技術、これこそドミニコが、彼の霊的指導者から長らく学んだものなのであった。

 

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