22 次にケルソスは、ユダヤ人によって生殖器に割礼が施されることついて非難せずに、「それがエジプト人に由来する」と主張して、人々の中で最初に割礼を受けたのはアブラハムであると言ったモーセよりも、エジプト人たちを信用している[1]。しかしモーセだけがアブラハムの名を書き記して、彼を神に親しい者にしたのではなく、悪霊どもを呼び出す多くの者たちが自分たちの呪文の中で、「アブラハムの神」という言葉を使っているのである。彼らは、その(アブラハム)という名前と、この義人に対する神の親しさとによって何ごとかを行い、それゆえ、アブラハムがどんな人物であるかも知らずに、「アブラハムの神」という言葉を採用している。同じことは、イサクについても、ヤコブについても、イスラエルについても言わなければならない。これらの名前は、ヘブライ語であることが明白に認められているにもかかわらず、何らかの働きを約束するエジプト人たちによって、彼らの決まり文句の多くの個所に挿入されているのである。しかしアブラハムによって始められ、イエスによって禁じられた割礼――イエスはご自分の弟子たちがそれを行うのを望まなかった――の意味を解釈することは、今の課題ではない。たしかに、これらについての教えが目下の問題ではなく、ユダヤ人の教えに対してケルソスによってもたらされた批判を無効にする反駁が問題なのである。ケルソスは、キリスト教の起源がユダヤ人の教えの中にあることを非難することによってキリスト教の誤りを立証できれば、キリスト教をもっと速やかに誤りとすることができると考えている。



[1] 割礼がエジプト人の間でも行われていたことについては、幾人かの著作家が言及している。Herodotus, II, 104; Philo, de Sp.Leg. I, 2; Origen, Hom.Jr.5, 14.

 

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