28 また、ケルソスは、弁論家の技法を持ち出す子どもをまねて、架空の話を作り、ユダヤ人をイエズスの対話相手として登場させ、哲学者の白髪にはまったく値しないような事柄を子どもっぽく語らせているのである。そこで我々は、力の限りを尽くして、それらの事柄を検討し、彼が自分の話の中でこのユダヤ人の登場人物とはまったく一致しない登場人物をのぼせていることを証明しよう。次にケルソスは、ユダヤ人を登場させて、イエスご自身と対話させ、その登場人物をして多くの事柄についてイエスを反駁せしめている[1]。ケルソスが考えるには、先ずイエスは、乙女からの自分の誕生をねつ造したというのである。そして彼は、イエズスがユダヤの村の出身であり、その村の貧しい糸紡ぎの婦人から生まれたことについて非難する。更にその婦人は、姦淫を働いたとして、その生業が大工である夫によって非難され、追い出されたと、ケルソスは主張する。次に彼は次のように言う。彼女が夫によって拒絶され、恥をさらしながらさまよい、密かにイエスを産んだ。そしてこのイエスは、貧しさのあまりエジプトに働きに出て、その地でエジプト人たちが自慢する幾つかの魔術を体験し、それらの魔術を鼻にかけて戻り、それらの魔術によって自分を神だと公言しているのだと。これに対して、不信仰者たちによって言われたことを無検討のままにしておくことがまったくできず、問題の根元を検討したいと思っている私が思うには、(彼の出生に関わる)これらすべてのことは、イエズスが神的な方であり、神の子であると公言するにふさわしい方であったことと一致するのである。



[1] 本節冒頭の一文とこの一文の重複は、彼が冒頭の一文を口述した後、序文の口述に着手し、再びこの節を再開したとき、既に口述した本節の第一文を忘れたことによるものと説明される。本書序文6を参照せよ。

 

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