39 ここでケルソスが真剣にではなく、冗談半分に言ったことに反論するのは、相応しくないと私には思われる。彼は次のように言っている。イエスの母が美しかったとしても、どうして神はその美しい母と交わったのか。神は本性上、滅び得る身体を恋焦がれることはないのだ。そもそも神が彼女に恋焦がれるのは、あり得ないことである。彼女は、裕福でもなければ、高貴な生まれでもなない。と言うのは、近所の者の誰一人として彼女を知らなかったからである。更に彼は、ふざけながらこう言っている。彼女は、大工に憎まれ捨てられたが、神の力も、説得に満ちた言葉も、彼女を救うことはなかった。(マリアに関する)これらの事柄は、神の国に相応しいものではないと、ケルソスは言う。これらの話は、どこかの三つ辻語られるまったく取るに足らない悪口と何の違いもないではないか。

 

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