71 次にその不敬虔と邪悪の教えのゆえに、こう私が言ってよければ、神に憎まれているこの男(ケルソス)は、イエスを罵って次のように言っている。それらは、神に憎まれている人物、邪悪な魔術師のなせる業であると。だが、言葉と事柄を厳密に検討して見れば、人間が神に憎まれるということは不可能である。なぜなら「神は、存在するすべてのものを愛しておられ、ご自分がお造りになったものを何ひとつ嫌うことがない。もしも神が何かを憎んでおられるなら、それをお造りにならなかっただろう[1]」とあるからである。もしも何らかの預言の言葉がこのようなことを言っているのであれば、聖書は神に関して人間的な感情持っているかのような言い回しをするという一般的な解釈法によって調整されるべきである[2]。しかし誠実な議論を約束するしていながら、その議論の中でイエスを邪悪な人物であり魔術師として扱い、彼に冒涜と罵声を浴びせるべきであると考えている男に何と言って弁明すべきであるか。このようなことは、証明する人の業ではなく、無知で非哲学的な情念に捕らわれた人の業である。その人は、問題を提示し、それを慎重に検討し、それに対して思いついたことを可能な限り述べるべきである。

 ともあれ(ケルソスは)、イエスに対する彼の著作のユダヤ人の言葉を以上の言葉で止めているので、我々も、ケルソスへの第一の反論書の叙述をこの辺で終わることにする。しかしもしも神が、「あなたの真理において、それらを完全に滅ぼしてください[3]」という祈りに応えて、諸々の偽りの教説を完全に滅ぼす真理を与えてくださるのなら、我々は、(ケルソスの)第二の作り話に着手することにしよう。その作り話においては、ユダヤ人が、イエスを信じた人々に対して以下に述べるようなことをケルソスによって言わしめられているのである。



[1] Sg.11,24.

[2]省略

[3] Ps.53,7.

 

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