46 また、次のことを言うケルソスの許のユダヤ人は、どうして嘘をついていないのか:「彼は現存しているとき、十人の水夫たちと、もっとも見捨てられた徴税人たちを勝ち取ったが、(勝ち取ったのは)彼らすべてさえなかった」と。実際、ユダヤ人たちでさえ次のことに同意するだろうというのは明らかである:すなわち、彼が勝ち取ったのは十人だけでなく、百人でもなく、千人でもなく、総計で、ある時は五千人[1]、ある時は四千人だったと[2]。そして、その勝ち取った程度たるや、彼らが諸々の荒れ野――イエスを通して神を信じる人々の途方もなく大きな数をひたすら許容できる諸々の荒れ野――の中まで彼に従うほどだった。しかし(ケルソスは)同語反復をして、我々が彼と似たことをするように強制する。なぜなら我々は、彼の許で言われた諸々の非難のどれか一つを無視することを用心して避けているからである。そしてそこで、彼は目下の言葉の中で、我々が維持している(彼の)文書の順序に従って、次のように言う:「彼は生きているときに、一人も説得しなかったのに、彼が死ぬと、(説得することを)望む人たちがかくも多くの人たちを説得しているとすれば、どうしてそれはバカバカしさの極みでないのか」と。彼は首尾一貫性を守って、次のことを言うべきだった:「いやしくも彼が死んだとき、(説得することを)望む人たちは単純に説得するのでなく、むしろ(そのことを)望むとともに(それをすることが)できる人たちがかくも多くの人たちを説得しているとすれば、いわんや彼が、(地上の)生活に滞在していたとき、何倍も多くの人たちをいっそう有能な言論と諸々の実践によって説得したのは、はるかに理に適っている」と。



[1] Mt.15,38.

[2] Mt.14,21.

 

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