57 しかしあなたは、ケルソスの許のユダヤ人が――まるで、人が死者たちの中から同じ身体で復活することが不可能であるかのように――まったく盲目的な仕方で次のことを言ってないかどうかに注目してください:「しかし、次のことが検討されるべきである:本当に死んだ人がいったい同じ身体で復活したかどうか」と。実際、(本当の)ユダヤ人なら、それらの事柄を言うことはできないだろう。なぜなら彼は、『諸王』の第三書と第四諸の中で幼子たち――彼らの一人をエリアが復活させ、他の一人をエリシャが復活させた[1]――について書き記されている諸々の事柄を信じているからである。それゆえにイエスも、ユダヤ人たち以外の他の国民の許に訪れなかったと、私は思う。なぜなら彼ら(ユダヤ人たち)は、彼によって起こった諸々の事柄と彼について物語られている諸々の事柄と、(彼らによって)信じられている諸々の事柄を比較すると、諸々の逆説的な事柄に対して慣れた者たちになっているからである。その結果、彼らは次のことを受け入れることができた:すなわち、彼について諸々のより偉大な事柄が起こり、彼によって諸々の逆説的な事柄がなされた訳であるから、彼が前出のすべての者たちよりも偉大であったと。



[1] Cf.1R.17,21-22 et 2R.4,34-35.

 

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