11 また彼は、「すべての人たちは一つのことを思慮していた」と言うが、その点において彼は次のことを見ていない:すなわち、神的であると信じられてきた諸々の巻物における解釈を巡って信じる者たちの諸々の相違が始めから生じていたということ。少なくとも使徒たちがまだ宣教していたとき、そしてイエスの目撃者たちが彼からの諸々の学識を教えていたとき、諸国民の中からみ言葉の許に至った者たちについての小さからざる探求が、ユダヤ人たちの中から信じるに至った者たちの許で互いに生じていた:その探求とは、諸々のユダヤ的な習慣を彼らが守るべきか、それとも、諸々の清い食物と諸々の汚れた食物とに関わる「重荷」を負担とならないように――諸国民の中で諸々の父祖伝来の事柄を後に残して、イエスを信じるに至った者たちの中から――取り除くべきかどうかというものである[1]。そればかりか、パウロの諸々の書簡の中にも――彼は、イエスを見た人たちの時代の中にいた――、復活について、そしてそれが「すでに起こった」ことについて、そして主の日は「現存するのか否か」について探求する或る人たちの諸々の発言が見出される[2]。そればかりか、「卑俗で空疎な諸々の発話と偽覚知に由来する諸々の反対を避ける人――ある人たちはその偽覚知を公言して、信仰を巡って座礁しました[3]」という言葉も、ケルソスが考えているように信じる者たちがまだ多数でなかったとき[4]、何らかの諸々の異なる解釈が始めから生じていたことを示している。



[1] Cf.Ac.10,14; 11,8; 15,28-29.

[2] Cf.1Co.15,12s; 2Tm.2,18; 1Th.5,2.

[3] 1Tm.6,20-21; 1,19.

[4] Cf.C.Celsum,III,10.

 

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