18 次に、非理性的な動物たちに関する諸々の事柄も恭しく語り、それらが神の何らかの諸々の象徴であると主張する、あるいは、彼らの預言者と称される人たちに好かれる何らかの名称であると主張するエジプト人たちの諸々の事柄について、彼は次のことを言う:「それらの事柄は、それらを学んだ人たちに、自分たちが虚しく加入儀礼を施されなかったという印象を送り出す」と。他方、我々の諸々の言葉において、パウロの許で恩恵と呼ばれるものから、「霊を通した」知恵の言葉の中で、そして、「霊に即した」覚知の言葉の中で[1]、キリスト教の中に多くの学識を持つ者たちに示された諸々の事柄を、このケルソスは、夢想だにしなかったように私には見える――(以上の)諸々の事柄からばかりでなく、引き続く諸々の箇所中でキリスト者たちの成り立ちを非難しつつ、次のように言っている諸々の事柄からも:「彼らは、一切の賢者を彼らの信仰の言葉から排除し、無理解な者たちと奴隷たちだけを呼び寄せている。それらの事柄については、我々はいずれしかるべき時季に、然るべき場所に来たとき関わることにする」と。



[1] Cf.1Co.12,8.

 

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