そこでケルソスと、我々に対して彼によって言われた諸々の事柄に満足する人たちとは、次のことを言うがよい:ユダヤ人たちの預言者たちが次のことを預言したことが「ロバの影[1]」に似ているかどうかを;美しく生活している人たちと「神の取り分[2]」と称される人たちとの指導者になる方の誕生の場所、乙女がインマヌエルを懐妊すること;然々の諸々の印と諸々の驚嘆が預言された方によって存在するだろうということ;そして、彼の使徒たちの声が「一切の土地に進むほど、彼の言葉は速やかに駆け巡る[3]」こと;そして、ユダヤ人たちによって断罪された方はどのような諸々の事柄を苦しむだろうかということ;そして、どのようにして彼が復活するだろうかと言うこと(を言うがよい)。果てして預言者たちは、何らの確信――彼らをして言わしめ、言われた諸々の事柄を執筆に相応しいと思わしめる確信――もなしにそれらのことを気紛れに言ったのか;果たして、居住するために固有の場所を大昔に取得したそれほど偉大なユダヤ人たちの種族が、何らの確信もなしに或る人たちを預言者たちとして公言し、他の人たちを偽預言者たちとして斥けていたのか;そして、聖なるものと信じられているモーセの諸々の書の中に、その後に預言者たちと見なされた者たちの諸々の言葉を数え入れることを促すものが、彼らの許になかったのか;そして、ユダヤ人たちとキリスト者たちとに対して愚単さを非難する人たちは、次のことを私たちに証明することができるのか:すなわち、ユダヤ人たちの種族が彼らの許に如何なる予知も存在しなくても存立することができたことを、そして、彼らの周囲の諸国民たちがそれぞれ父祖伝来の諸々の事柄に従って、彼らの許で神々と見なされている者たちから諸々の託宣と諸々の宣旨を受け取ると信じていたこと、それに対し、諸国民たちの許で神々と見なされているすべての者たちを神々でなく悪霊たちとして軽蔑することを教えられたこれらの人たちだけが――なぜなら彼らの預言者たちは「諸国民たちのすべての神々は悪霊たちである[4]」と言っていたからである――、預言することを約束し、将来の諸々の事柄の予知への欲望によって、他の者たちの許に悪霊たちの方へと逃亡することを望む人たちを引き留めることができる人を誰一人として持っていなかったことを(私たちに証明することができるのか)。したがってあなたは、他の諸国民たちの許にある神々を軽蔑することを教えられた全き民が、偉大さとあらゆる所の諸々の託宣を超える優越性とを直ちに表明する預言者たちを豊富に持つことが必要ではないのかどうかに注意すべきである。



[1] Cf.Platon, Phédre 260C.

[2] Dt.32,9.

[3] Cf.Ps.18,5.

[4] Ps.95,5.

 

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