26 また我々は、それらの後でケルソスが言っている諸々の事柄を見よう。彼は、諸々の歴史から諸々の逆説的な事柄――それらは、それら事態に関しては信用に値しない諸々の事柄に似ているが、彼の表現に基づく限りで彼によって信じられていないわけではない――を引用している。まず最初にプロコネーソスのアリステアスに関する諸々の事柄。彼は、彼について次の諸々の事柄を言っている:「次に、プロコネーソスのアリステアスは、そのように鬼神的な仕方で人間たちから消えたが、再び明瞭な仕方で現れ、そして、諸々の多くの時間の後に地球の多くの場所を訪れ、そして諸々の驚異的な事柄を伝えた。そしてアポロンがメタポンティオス人たちに、神々の境遇の中にアリステアスを配置するように厳命したにもかかわらず、彼を神と見なす者はもう誰もいない」と。どうやら彼は、その歴史をピンダロスとヘロドトスから取ったように見える。しかし今は、ヘロドトスの表現を(彼の)『諸々の歴史』の第四書から引用することで十分である。その内容は、彼について次のようになっている:「それらのことを言ったアリステアスはどこから来たかを私は言った。そして私は、プロコネーソスとキュジコスの中で私が聞いた彼についての話を言おう。すなわち人々は次のことを言っている:アリステアスは、種族において諸々の町の誰にも劣ることを認めない;そして(アリステアスは)、プロコネーソスにおける縮絨工の店の中に入ったとき死んだ;そしてその縮絨工は、作業場を閉めてその死者の近親者たちに知らせに行った;しかし、アリステアスが死んだという話が既に町中に広められていたとき、アルタルケーの町からやって来たキュジコスの男が、そのように言う人々と諸々の論争に入った:(その男は)キュジコスに着いたとき、(そこに)現れた(アリステアス)に出会い、諸々の会話の中に入った。そして、その男は、強力に主張したので、その死者の近親者たちは、(その亡骸を)撤去するつもりで諸々の便利なものを持って、縮絨工の店に臨んだ。しかし、住居が開けられても、アリステアスは生きている者としても死んでいる者としても現れなかった。そして、第七年後に彼は、プロコネーソスの中に現れ、諸々の詩を作った。それらは、今、ギリシア人たちによってアリマスペイアと呼ばれている。そして(それらの詩を)作ると、彼は再び消えた。それらのことを、それらの町(の人たち)は言っている。他方、以下の諸々の事柄が――私が、プロコネーソスとメタポンティオスの中で計算し見出した限りでは――アリステアスの第二の消滅の後240年後に、イタリアの中のメタポンティオス人たちに起こった。そして、メタポンティオス人たちは、アリステアスみずからが(自分たちの)現れて、その場で自分たちに、アポロンの祭壇を設置し、プロコネーソスのアリステアという名を冠した立像をその傍らに立てるように命じた。実際、彼は次のことを言っている:アポロンがイタリア人たちの彼らに対してだけその場に来たと言い、今ではアリステアスとなっている者はみずから彼に従った;しかし彼は、神に従っていたとき、カラスだったと。そして、そしてそれらのことを言った者は消え、メタポンティオス人たちと言われる彼らは、デルフォイの中に(人を)派遣し、その人間の出現は何であったかを神に尋ねた。すると、ピュティアはその出現に従うように彼らに命令した;彼らが従うなら、もっと善いことが怒るだろうと。そして、彼らはそれらのことを受け入れ、(それらのことを)全うした。そして今、アリステアスという添え名を持つ男像が、アポロンの像その自体の傍らに立ち、その周りに諸々の月桂冠がある。そしてその像は、広場の中に据えられている。アリステアスについては、差し当たりそれらの事柄が言われたとしよう」。

 

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