28 一体、摂理は何を望みつつ、アリステアスを巡る諸々の逆説を取り扱っていたのか。そして(その摂理は)どんなん点で人間たちの種族を利することを望みつつ、あなたが考えるようにそれ程の諸々の事柄を示していなのかをを、あなたは言うことができない。ところが我々は、イエスに関する諸々の事柄を語るとき、それらのことが起こったことに関して場当たり的な弁明を持ち出さず、人間たちに救いをもたらすものとしてのイエスを通したみ言葉を提示することを望んでいたことを持ち出す。そのみ言葉は、基礎づけられたキリスト教の建築物の諸々の土台によるかのように使徒たちによって強化されたものであり、さらに引き続く諸々の時間――それら(の時間)の中で、僅かならざる諸々の癒しがイエスの名によって、そして他の何らかの軽蔑すべからざる諸々の顕現が成し遂げられている――を通して発展しているものである。

さらに、アリステアスを神々の取り分の中に配置することをメタポンティノス人たちに厳命したアポロンはどこぞの者か。そして彼は、何を望みつつそのことを行うのか。そして、どのような利益が神に対するかの如き尊重からメタポンティノス人たちに生じるように摂理したのか――もしも彼らが、少し前までは人間だった者を今や神であると見なすとすれば。しかし、アリステアスを巡るアポロン――我々によれば、「灌奠と芳香[1]」という褒美を獲得した鬼神である――の諸々の立ち合いは、あなたにとって言及に値するように見える。それに対し、すべてのものの上に臨む神と彼の聖なるみ使いたちの諸々の立ち合い――それらは、預言者たちを通して、イエスが生まれた後ではなく、(彼が)人間たちの生活に訪れるよりも前に預言された――は、神的な霊を受け容れた預言者たちと、彼らによって預言された方とに驚嘆することへとあなたを動かさないのか。(この)生活への彼の到来は、多くの諸々の年の前に多くの人たちを通して宣べ伝えられることが起こっていた。その結果、ユダヤ人たちの民全体は、希望された方の到来するだろうことに関する期待に結ばれていたため、イエスが到来すると、互いに対する探求の中へと向かった:そして彼らの多くの多数がキリストを告白し、彼が預言された方であることを信じた;他方、信じない人たちは、イエスの諸々の学識を通してたまさかにも反乱を起こすことさえ望まなかった人たちの優しさを軽蔑し、彼の弟子たちが真理愛をもって慎重に――イエスの逆説に関する歴史から、キリスト者たちのロゴスに恥辱をもたらすように多くの人たちには見える事柄をこっそり引き抜かずに――記載した諸々の(残忍な)事柄をイエスに対して敢行した。

そして実にイエスご自身と彼の弟子たちは、近づく者たちが――彼が人間的な本性を共有せず(分かち合わず)、人間たちの中にあって「霊に反して[2]」欲望する肉を取ることさえないかのように――彼の神性と諸々の逆説的な事柄を信じることだけを望んだのではない。そればかりか実に彼らは、人間的な本性の中に、そして人間的な諸々の境遇の中に降り、魂と人間的な身体を採用した力が、諸々の神的な事柄と共に信じられるが故に、信じる者たちにとって救いに貢献するのを見ていた。なぜなら信じる者たちは次のことを見るからである:すなわち、神的な本性と人間的な本性が編み合わされることが彼から始まった;その結果、人間的な本性は、より神的なものへの分かち合い(共有)によって神的なものになる――イエスにおいてだけでなく、信じるとと共にイエス教えていた生活を採用するすべての人たちにおいても。その生活は、神への友愛とその方への分かち合い(共有)とへ、イエスの諸々の提案に従って生きる一切の人を導き上げる。



[1] 省略

[2] Ga.5,17.

 

次へ