36 それらの後で、アドリアノスの子たちに関する諸々の事柄――私は、青年アンティノオスに関する諸々の事柄のことを言っている――と、エジプトのアンティノオスの町における人たちの彼への敬意とは、イエスに対する我々の敬意と少しも違わないと、彼は考えているで、そのことも敵対的に言われたこととして、我々は反駁したい。実際、アドリアノスの子たちの中に生じた生活――無受苦な男らしさを好女てきな病から守ることさえなかった生活――が、我々の畏れ多いイエスに対してどんな共通点を持つのか。(彼に対して)無数の諸々の事柄を非難し、彼に関する有らん限りの虚偽を言う者たちは、彼がちょっとした放縦さえたとえわずかでも味わったことさえ責め立てることができなかった。そればかりか、もしも人が、真理愛をもって不偏不党に、アンティノオスに関する諸々の事柄を吟味すれば、エジプト人たちの諸々の手品と諸々の加入儀礼が、彼がアンティノオスの町の中で、しかも彼の最期の後で何か行っているように見えることの諸々の原因であることを、その人は見出すかもしれない。そのことは、他の諸々の神殿でも、エジプト人たちとそのような諸々の事柄に秀でた人たちとによって起こったと報告されている。彼ら(エジプト人たちやそれらの事柄に秀でた人たち)は、ある諸々の場所の中に予言的なあるいは癒し的な悪霊たち――偶然的な諸々の食物に関して、あるいは、人間的な死者の身体に触れたことに関して何か違反したように見える人隊をしばしば吟味する悪霊たち――を設置し、無教養な大衆を驚かすことができるようになるために。エジプトのアンティノオスの町の中で神であると見なされている者はそのようなものである。彼の諸々の徳を、気紛れに生きる一方の人たちは捏造し、他方の人たちは、当時に設置された悪霊から騙され、そして他の人たちは、貧弱な理解力から責められて、アンティノオスから求められた(神への)身代金を支払うと思っている。まさに(彼らによって)成し遂げられた彼らの諸々の神秘と、諸々の予言であると見られているものとは、そのような諸々の事柄である。実に、集合してきた魔術師たちが、命令を下す或る王や指示を出す支配者に感謝しつつ、彼を神にすることを決断したのではない。万物の造り主ご自身が、厳粛に語ることにおける説得的な力に従って、彼を――上手に思慮することを望む人間たちばかりでなく、悪霊たちと他の不可視的な諸々の力にとっても――尊敬に値する方として確立した。それら(の力)は、今日に至るまで、より優れた方としてのイエスの御名を恐れていることや、諸々の法に則した彼らの支配者として恭しく受け入れることを示している。実際もしもその(尊敬する方としての)確立が神から彼に与えられたものでないなら、悪霊たちといえども、告げられた彼の御名だけで後ずさり、彼らによって戦いを挑まれた者たちから退却しなかっただろう。

 

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