オリゲネス  

真の言葉と題されたケルソスの著作への反論

第四巻

朱門岩夫訳

最終更新日2019/06/30    


 (以下に述べる)諸々の事柄に先立つ三つの巻物の中で、ケルソスの論考に対して我々によって理解された諸々の事柄を、聖なるアンブロシオスよ、引き続く諸々の(批判の)事柄に対して、キリストを通して神に祈りつつ我々は口述します。どうか、エレミアの中で、主が預言者に対して次のことを言ったと書き記されている諸々の言葉が、私たちに与えられますように:「あなたは見よ。私は、私の諸々の言葉をあなたの口の中にいとして与えた。あなたは見よ。私は、あなたを今日、諸国民と諸王国の上に据えた――根絶やし、掘り倒し、滅ぼし、引き倒し、建設し、植えるために[1]」と。実にいま我々は、ケルソスの論考やそれに類する諸々の理解によって惑わされた一切の魂から、真理に反する諸々の事柄を根絶やす諸々の言葉を必要とします。また我々は、一切の謬見の諸々の建物と、ケルソスの論考の中にある彼の建物に関する諸々の事柄――それは、次のことを言う者たちの建物に似ている――とを掘り倒す諸々の理解を必要とします。「あなたが来なさい。我々は、我々のために町と塔を建てよう。その(塔の)頭は、天にまで至るだろう[2]」と。そればかりか我々は、「神の覚知に対して[3]」高められたすべての諸々の高慢と、我々に対して高められたケルソスの自惚れの高慢とを引き倒す知恵を必要とする。それに我々は、前述の諸々の事柄を「根絶やし、掘り倒す」ことに留まるべきでなく、根絶やされた諸々の事柄の場所の中に、神に即した畑の植物を植え込むべきであり[4]、掘り倒された諸々の事柄の場所の中に神の建物と神の栄光の神殿を立てるべきですから、それ故に我々も、エレミアの中に書き記された諸々の事柄を与えて下さった主に次のことを祈るべきです:キリストの諸々の言葉を建てるために、そして、霊的な律法とそれに類比する預言的な諸々の言葉を植えるために、(主が)我々にも諸々の言葉を与えて下さるようにと。

特に我々には、前述の諸々の事柄に続いて今ケルソスによって言われた諸々の事柄に対して、次のことを証明する必要がある:キリストに関する諸々の事柄は美しく預言されていたということである。実際ケルソスは、両者たち――ユダヤ人たちは、キリストの到来が生じたことを否定し、彼が来るだろうと期待している;他方、キリスト者たちは、イエスが預言されたキリストであると告白している――に対して立ち、次のことを言う:



[1] Jr.1,9-10.

[2] Gn.11,4.

[3] 2Co.10,5.

[4] Cf.1Co.3,9.

 

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