水で煮てはならない

16 ところで、数々の霊的な業に関する怠慢を生み出すのは、肉の快楽欲であります。そのため、律法制定者は、さらに別の象徴を使って、このことを明らかにしています。彼は、「水で煮て[1]」はならないと言っております。実際、煮物は、食事の快楽のために用意されるものでありますが、快楽を抱きながら神的な食物をいただくことはできるものではありません。なぜなら肉的な生き方に霊的な力は、混ざらないものだからであります。



[1] Ex.12,9.