残りは火で焼かれねばならない

25  またそれゆえに、生け贄の肉の内で残ったものは火で焼き尽くされねばならないとすれば[1]、それは私たちが次のことを知るようになるためなのであります。すなわち、キリストが、いまの代において「罪に対してただ一度だけ」死なれたこと、そして「死はもはやキリストを支配しないこと[2]」、むしろ(キリストの)生命が死の数々のしるしに打ち勝ったので、死は、いわば火のような霊の力によって取り除かれたことを、私たちが知るようになるためであります。



[1] Cf.Ex.12,10.

[2] Rm.6,9-10.