異質なものを切断する

2  さて、キリストに与ろうとする人があらかじめ心すべき準備につきましては、律法制定者が、割礼を通して象徴的に[1]指示しております。彼はこう述べております。「パスカの掟はこれである。異民族は誰もそれを食べてはならない。自分の家で生まれた奴隷や金で買われた奴隷は誰でも、お前がその者に割礼を施せば、そのとき、それを食べることができる[2]」と。 3 しかしその当時の割礼は、部分的なもので、ご利益をすぐに示してくれるものではありませんでした。実際、その割礼によって人が、割礼を受けていない人にくらべて一層善くなるなどということはまったくなかったのであります。そればかりか、神からイスラエルの人たちに非難が向けられました。「諸国の民はみな、肉に割礼を受けていない。そしてイスラエルの家の者も自分たちの心に割礼を受けていない[3]」と言われております。本当の割礼とは、肉全体にかかわるもので、心に割礼を受け、肉の覆いを取り除かれた者を神の友とり、神の家族とするものであります。そしてこの肉の覆いは、祖先たちから私たちが受け継いだもので、私たちが取り除きたいと切に願っているものなのであります。律法は、生殖器の一部の切断によってこのことをあらかじめ示しておりました。そしてそれゆえ律法は、生殖を通して私たちにもたらされる覆いを象徴するものとして、生殖を取り上げたのであります[4] 4 ですから肉的な暮らしを切り離さない者は誰も、キリストとの親密な交わりに到達することがきないでありましょう。ところが「私たちは、割礼を受けた者であり」、キリストの参与者、「神の霊において礼拝して、肉には信頼をおかない者なのであります[5]」。なぜなら、肉的なものをすべて脱ぎ捨てた心は、神を真実に礼拝し、霊においてキリストと交わることができるからであります。 5 このような割礼の発端をなすのは、私たちのために肉を捨て、私たちのために割礼それ自体をお引受になった主のご受難なのであります。そしてその神秘は、洗礼において、私たちの中に刻印され、キリストに従った生活によって実現されるのであります。実際、こう言われております。「あなた方は、キリストの割礼によって肉の体を脱ぎ捨て、人の手によらない割礼によって割礼を施されたのです。そしてあなた方は、洗礼によってキリストと共に埋葬されました[6]」。 6 ですからあなたは、肉的な生活習慣を捨て去らないかぎり、異民族であり、よそ者なのです。そして天から来られた聖なるおん方たるキリストとの交わりや参与は、あなたにはないことになりましょう。なぜなら天のものに近づこうとする人は、天のものにならねばなりませんし、地に属するものを脱ぎ捨てない人は何人も、天のものになれないからであります。



[1] tupikw/j

[2] Ex.12,43-44.

[3] Ir.9,25.

[4] 包皮は、罪の結果として私たちの魂を覆う覆いの象徴である。

[5] Ph.3,3.

[6] Col.2,11-12.