旅の身なり

7  ですからあなたが、このように、洗礼の恵みと霊的な実践の熱意とにおいて、古い人間をあらかじめ捨てますと、キリストのみ許に近づき、キリストに与ることができるようになるのであります。さて次に、パスカに与る人たちがみな、律法によって、どのような身仕度をするように命じられているかを見ることができるでしょう。こうすることで、私たちは、キリストに与る際に、どのようにあるべきかを知ることができるのであります。こう言われております。「お前たちは、このようにしてそれを食べなさい。お前たちは腰に帯をし、足に履物を着け、手には杖を持って[1]」と。 8 準備万端で身軽な旅の身なりは、神の数々の約束へと実に意気揚揚と疾走することを示しております。それは、かつてイスラエルが、善き土地の約束へと向かうために、旅人の身なりをするように命じられた場合と同じであります。しかしながら、この霊的な旅人が、あのかつての旅人とくらべて、どれほど大きな卓越性を持っているかを、あなたはご覧ください。彼は、この地上の約束を求めて先を急いでいるのではありません。一時的ではかない美を追い求めているのではありませんし、また、ある土地にかえて別の土地を、エジプトにかえてユダヤを取るというのでもありません。では、このような旅人は、自分の旅について、一体何と言っているのでしょうか。こうあります。「私は、後のものを忘れて、前のものへと身を伸ばし、目標をめがけてひたすら進み、上への召し出しの賞与をいただきたいのです[2]」。



[1] Ex.12,11;この聖書のこの節は、オリゲネスの『過越について』第35節、第36節では、別様に解釈されている。腰の帯は、オリゲネスにとって、肉的な欲望の滅却を意味する。

[2] Ph.3,13-14.