一年の諸々の月の元

6  さて、神が十番目の災いをエジプト人たちに加えようとされたとき――その災いは初子らの死でありましたが――モーセに「この月は、お前たちにとって諸々の月の元である。これは、お前たちにとって一年の諸々の月の内で最初の月である[1]」と言われました。続いて神は、パスカの(小羊の)生け贄とその血を戸口に塗ることをお命じになりました。また、このように血を塗ることによって初子たちの救いをお約束なさいました。しかしこれをただちに真理と関係づけて考察してみますと、パスカと初子たちの救いと(が成し遂げられる)その時が一年の元として定められたということ、これは一体どういうことなのでありましょうか。それはつまり、私たちにとりましても、永遠の生命の元が、真のパスカ(の小羊)の生け贄だということであります――実際、一年は永遠の象徴であります。なぜなら一年は、円を描いて循環し常にそれ自身へと立ち還り、最後まで決してとどまるところを知らないからであります――。そして私たちのために生け贄として献げられたキリストは、「来たるべき代の父[2]」なのです。また、私たちの以前の生活の一切を時機外れのものとなさり、ご自身の死と復活にあやからせる再生の洗いによって別の生命の元を与えてくださったのであります。 7 ですから、自分のために生け贄となったパスカ(の小羊)を知っている人はみな、自分の生命の元とは、キリストが自分のために生け贄となられたそのときだと考えねばなりません。ところで、キリストがその人のために生け贄となられたときとは、その人が恵みに気づき、その生け贄によってもたらされた生命を悟るときであります。(ですから自分のために生け贄となったパスカの小羊を知っている人はみな)このことにも思いをいたして、新たな生命の元を手に入れることに情熱を傾けねばんりませんし、もはや古い生命に戻るようなことがあってはならないのであります。なぜならその人は古い生命の終局に到達しているからであります。実際、「罪に対して死んだ私たちは、どうしてなお罪の内に生き続けることができるでしょうか[3]」。



[1] Ex.12,2.

[2] Ies.9,5.

[3] Rm.6,2.