種なしパン

13  神的な食事への以上のような参与の後にくるものとして、私たちは第三番目に、聖なる食物を拝領した人の生活が、まさにどういうものであるべきかを見てみることにいたしましょう。ところでこの生きざまを示しているのは、除酵祭と除酵祭の日数[1]であります。 14 そう、ユダヤ人たちは、除酵祭に熱心に励めばよいでしょう。七日間が自分たちに何か素晴らしいことをもたらしてくれると思い込めばいいでありましょう。彼らは、パン種を入れたものを食べてもいないし、自分たちのところに蓄えてもいないのですから。しかし彼らは、このような行いによって、いかなる利益も示すことができないでありましょう。なぜなら彼らは、予型を祝っているのであって、真理を祝っているわけではないからであります。しかしあなたは、使徒によって先ほど言われたように、また、私たちが指示しましたように、この種なしパンと言うことで、すべての悪行とは無縁の浄く混じり気のない魂をお考えください。過去の悪事をいささかも含んでいない新しい生きざまをお考えになってください。「お前たちの家々からパン種を取り除きなさい。パン種を入れたものを食べる人はすべて、その魂はイスラエルから断たれるだろう[2]」という言葉は、このような意味で取るならば、実にみごとに言われたことになるように思われます。なぜかと申しますと、過去の悪事を再び始めることは、新しさに向き変わった[新たなことに方向転換した]人にとっては破滅となるからであります。実際、こう言われております。「もしもあなた方が肉に従って生きるならば、あなた方は死にます[3]」と。



[1] ta. a;zuma kai. ai` tw/n avzu,mwn h`me,rai

[2] Ex.12,19.

[3] Rm.8,13.