第一日と第七日は聖なる日と呼ばれる

17  肉に属するものを求めない人の生活は単純であり、罪をしらず、潔白なものであります。そしてその人は、悪い考えを持つこともなければ、辛辣な考えを抱いたりしないものであります。では一体なぜ、第一日と第七日とは、特別に聖なる日と呼ばれるのでありましょうか。こう言われています。「第一の日は、聖なる日と呼ばれねばならない。また第七の日も、聖なる日とお前たちによって呼ばれねばならない[1]」と。実際、第一の日は、私たちが聖霊を受けて聖化される元を明示しています。そして第七の日は、終末[完成]を指し示しているのであります。すなわち、私たちがこの体から解放されて、キリストと一緒になるときを、そして私たちが、地上の追放生活を捨て去って聖性へと完全に移り、主のおんみ許に住まうときを指し示しているのであります。確かにこう言われております。「私たちがこの体に住みついている間は、主の許を離れて生活しています[2]」。



[1] Ex.12,16.

[2] 2 Co.5,6.