一軒の家

11  かくしてこれが、神秘的に理解された十四日の日であります。また、生け贄の象徴や、その生け贄に続く光輝く夜と昼とは[1]、以上のようなものでありましょう。さて、その生け贄がすべておのおのの家で食べられなければならず、また、その肉は「外に」持ち出されてはならないということは[2]、だた一軒の家だけがキリストにおける救いを得るということを明らかに示しております。そしてこのただ一軒の家とは、あまねく世界に広がる教会[3]のことであり、かつては神と無縁でしたが、いまでは、主イエスさまのみもとから派遣された人たちを受け入れて、神のお近くで親しくお仕えするただ一軒の家なのであります。それは、ラハブの家が、つまり、あのかつての遊女の家一軒だけが、ヨシュアのもとから派遣された(二人の)斥候を迎え入れて、エリコが破壊されたとき、救われたのと同じようなものであります[4] 12 ですから、ヘブライ人たちの家が数多くあっても、一軒の家に値する値打ちを持っていたのと同じように、数々の町や村に広がる諸教会は、数の上でたくさんであっても、唯一の教会なのであります。なぜならキリストは、どこにおられても完全かつ分かたれざるおん方として、諸教会の内にあって唯一のおん方だからであります[5]。――そういうわけで、その生け贄は、おのおのの家で「完全だった[6]」のであり、様々な部分に分けられることがなかったのです――。実際あのパウロも、私たちはキリストにおいて一つであると言っております。なぜなら「主はただ一人、信仰は一つ[7]」だからであります。



[1] パスカは満月の夜に行われるため、その夜は、「光り輝く夜」である。そして、その夜はキリスト者の状態を暗示している。キリスト者は受洗後、キリストが再び来られる復活の朝を待つ(第二講話第23節以下参照)

[2] Cf.Ex.12,46.

[3] h` kaq'o[lhj th/j oivkoume,nhj evkklhsi,a

[4] Cf.Jos.2;6, 22-25.

[5] ei-j ga.r evn auvtai/j o` Cristo.j a`pantacou/ o` te,leioj kai. avme,ristoj

[6] Ex.12,5.

[7] Ep.4,5.