肉を外に持ち出してはならない

13  ですから、この生け贄の分かたれざる一致ということによって、律法は、必然的にキリストを前もって示し、また、この一致において教会の一致をあらかじめ示しています。実にキリストにおいてこそ、しかもキリストの奉献においてこそ、私たちは救いを得るのであります1)。そして私たちは、(キリストの)ご到来に先立つすべての物事が、このご到来のためにあらかじめ用意されたものであることを知っております。さらにこのことだけが、つまり、キリストがすべてのもののために生け贄として献げられたということだけが、全人類の救いために元から、あたかも目の前にあるかのように、あらかじめ定められていたということを知っているのであります。また私たちは、この救いが唯一の教会に属する者であり、カトリックの教会と信仰を離れては、何人たりともキリストに与ることができず、救われもしないということを知っております。 14 そしてこれらのことを承知している私たちは、律法にかなう物事においてではなくて、キリストの内に、全宇宙の救いが達成されること[1]を知っています。さらに私たちは、神を認めない数々の異端に対して、何かしら希望に値するものを分け与えたりはせず、むしろそれらの異端をすべて完全に希望の「外に[2]」置きます。と申しますのは、それらの異端は、キリストにわずかなりとも与ることがなく、むなしくも、救いをもたらすおんみ名を自分たち自身に与えて、真理よりも名称や外見に流されやすい人々を欺き傷つけようとしているからであります。  15 ですから、何人も昔の物事をキリストから切り離してはなりませんし、また、キリストがいなくても、(キリストに先立つ)以前の人のいく人かは救われると憶測してはなりません。他方、今日偽りの教説を唱え、真理を変造し、その上、真理の外にキリストとは無縁の空虚な教会のまがい物をでっちあげる人々やこれに類する人々を、何人もキリスト教徒と名づけてはなりりません。また、彼らと交わりを結んでもなりません。実際それは、許されないことであります。なぜならこの(過越の)生け贄は、神聖な家の外に持ち出されてはならないものであり、外にいる人たちに、交わりのしるしとして供される[3]ものでもないからであります。



[1] 「全宇宙の救い」(h` panto,j tou/ ko,sumou swthri,a)という言葉は、ユダヤ人にも救済の可能性が残されていることを暗示している。ただし異端者は救われない。

[2] Ex.12,46.

[3] ei,j koinwni,an toi/j <<e;xw>> profe,retai