完全な

16  さらに私たちは、この小羊が「完全で、雄の、一歳の[1]」小羊であるということが、主の栄光の予型として定められたものだと見ております。実際、それが「完全である」というのは、ただキリストだけがあらゆる徳において欠けたところがなく[2]、あらゆる点で汚れなく、元から終わりまでいかなる正義にも不足しないからであります。キリストご自身がこう言っております。「なぜならこのようにすべての正義を果たすことが、私たちにとってふさわしいのですから[3]」と。それゆえすべての生け贄が、完全で汚れのないものとして献げられました。なぜならすべての生け贄は、キリストの予型[4]として屠られたからであります。また神は、祭司たちが身体のうえで完全無欠でなければならぬとお命じになられました。それは、彼らが、真の祭司の予型だったからであります。



[1] Ex.12,5.

[2] オリゲネス『過越について』第22節参照

[3] Mt.3,15.

[4] tu,poj tou/ Cristou/