新しい意味を持つ死12
おお・・・、なんという超自然的な驚きでありましょう! ああ! なんという驚愕すべき出来事でありましょう! かつて(あんなにも)憎しみ嫌われた死が、いまや賛美せられ祝福されるようになったのであります! かつては嘆きと悲しみ、涙と憂いをもたらしたあの死が、いまやかずかずの歓喜を告げ知らせ、大祭典を引き起こす引き金となったのであります! こうして神に仕えるしもべたちの死が祝福されるようになり、最期の死によって神さまのおんみ許でよみされるという確かな保証が、かれらのすべてに与えられるようになりました。そして、このように神さまのおんみ許でよみせられるからこそ、神に仕えるしもべたちの死は祝福されるというものでありましょう。実にかれらの死は、かれらが完成の域に達した幸いな者であることを示し、堅固不動の徳[1]をかれらに恵み与えるのであります。「そのひとが死ぬまで、そのひとを祝福してはならない[2]」と託宣は述べております。しかしながら、わたくしたちは、この託宣をあなたさまにあてはめてみようとは思いません。なぜかと申しますと、死はあなたさまにとって、祝福[3]ではないからであります。ご死去はあなたさまにとって、完成[4]ではなかったからでございます。さらにご逝去は、(神さまによみされる)保証を与えるものではなかったからであります。実に! あなたさまにとって! 人知を超えたありとあらゆる善の始めと半ばと終わりとは、そして、(神さまによみせられるための)保証と真の確からしさとは、男の助けを借りないあのご懐妊[5]、神さまのあのおん宿り、乙女の操を保ったあのご出産だったのであります! ですから、真実こういうわけでありますから、あなたさまは、死によってではなく、まさにご懐妊そのものによって、「(いまより)後の代のすべてのひとは、わたしを祝福するでしょう」とおっしゃったのであります。ですから、あなたさまを祝福したのは、死なのではありません! そうではなく、あなたさまご自身が! 死の悲しみを解消し、死が歓喜であることをお示しになり、死を光り輝くものになっさたのであります!
[1]
to.
a;;trepton th/j avreth/j
[2]
Cf.Si.11,28.
[3]
makarismo,j
[4]
telei,wsij
[5]
h`
a;sporoj su,llhyij