緒言(2)

  たしかに人間の舌では、この都をふさわしくほめたたえることはできません。また、わたくしたちがそのおかげで、主の栄光を鏡のように輝かしく映し出せるように[1]なった、宇宙を超える[2]天使たちの精神にしても、そうであります。では、どうすればよいでありましょうか。わたくしたちはふさわしくほめたたえることができないので、口をつぐみ、恐れかしこまっていればよいのでしょうか。いやいや、そんなことではまったくありません。それともわたくしたちは、ことわざにもあるように、足を伸ばして敷居を踏み越エバが身の限界を顧みず、かずかずの神聖不可侵なものに遠慮会釈なく触れればよいのでしょうか。そして、畏れというみを吐き捨てればよいのでありましょうか。決してそんなことではありません! むしろわたくしたちは、愛情をもって畏れをらげ、その両者を合わせてひとつの冠を編み上げて、神聖な畏敬の念を抱きつつ、震える手と恋い焦がれる魂とによって、わたくしたちの想いのささやかな初なりを、母なる女王さまに、全自然の後援者に! その恩義に対するおん礼としてうやうやしくお捧げしようとするのであります! こんな言い伝えがあります[3]。ある農夫たち[4]が、役牛を使って畑のを切り開いておりましたところ、王さまが通り過ぎるのが見えました。王さまは、厳かに紫の衣で着飾り、王冠の輝きできらめいていました。そして、数えきれないほどたくさんの槍兵に、周囲をくまなく囲まれていました。ところがそのとき、かれら農夫たちには、この支配者に差し上げるべき贈り物がなにもなかったので、かれらのうちのひとりが、(すぐ近くで水が豊富に流れておりましたから)すかさず水を両手ですくい上げ、それを贈り物としてその君主に差し上げました。王さまはかれにいいました。「わがしもべよ、これはなんだ」。かれは勇気をもってこう答えました。「わたくしの手元にあったもの・・・、これを献上いたしました。熱烈な敬意を、空手でだいなしにしないほうがよいと判断いたしたものでして・・・。実際、あなたさまは、わたくしどもの持物をご入り用にはなられませんし、わたくしどもの手元にあるものをご所望なさりません。むしろあなたさまは、善意をお求めになるおん方であります。そしてわたくしどもにとっては、このようにすることが義務であり、また同時に、ほまれでもあるのでございます」と、農夫のひとりは答えました。かれは、思いり深いひとには、しばしば、栄光がともなうということを知っているのであります。するとどうでしょう、王さまはこの賢いやり方にひどく感心して、ほめたたえ、この熱烈な敬意をありがたく受けいれました。そしてできるだけたくさんの賜物を、かれに気前よく、褒美として与えたそうです。ですから、この尊大な暴君が豪華な捧げ物[5]よりも善意を好んだのであれば、ましてあの本当にいつくしみ深い女王さまは  ただおんひとりいつくしみ深い神さまの、あのおん母は、どうするでありましょうか。無際限にへりくだられた神さまは、たくさんのぎ物よりも二枚のレプタ(銅貨)[6]をお好みになったのです。であれば、その神さまのおん母は、この尊大な暴君以上に、(わたくしたちの)能力なんど顧みず、わたくしたちの意向を受けいれてくださるのではないでしょうか。そうです。たしかに受けいれてくださるにちがいありません。わたくしたちはこの意向を義務としてお捧げ申し上げるのですから。しかしなにわともあれ、力のかぎりを尽くして(賛美の)言葉を語ること、これがわたくしたちの果すべき義務でありますから、さあ、では、みなさん、神さまのおん母に向かって(賛美の)言葉をお捧げすることにいたしましょう。

 



[1] thlaugw/j evnoptri,zesqai; cf.2 Co.3,18.

[2] u`perkosmi,oi

[3] 以下の逸話は、プルタルコスの VArtaxerh/j に語られている。

[4] avrgrw,tai

[5] polutelei,a

[6] Cf.Mc.12,42;Lc.21.2.