第一部

神のおん母への追悼演説

 

  しかし、もしもよろしければ、この主のお母さまがどのようなお方であるのか、そしてそのご出身はどこなのか、そしてこのお母さまは、どのようにしてお生れになり、神さまのあらゆる賜物のなかでもっとも崇高でもっとも望ましい賜物をこの世の生活に恵みとしておあたえくださったのか、また、この世での生活においてどのような暮らしをなさったのか、さらに、どのようなかずかずの秘義にふさわしい者とされたのかを、わたしたちは、いくらかご説明申し上げたいと思います。さて、ギリシアのひとたちはかつて、世を去ったひとたちにかずかずのの辞を述べようとすると、使えるものならなんでも、あらゆる熱意をもって手当たり次第に寄せ集め、それによってこの追悼演説が故人にふさわしいものとなり、同時に、遺族のひとたちにとってそれが、徳に対する熱意と励ましになるようにさせておりました。そしてかれらは、たいてい、かずかずの神話と無数の作り話とによってその演説を織りあげていたのであります。そのうえ追悼の辞を捧げられるひとたちは、もともと賛辞を受ける資格などなあるひとではありませんでした。そうであれば、もしもわたくしたちは、かくも真実でかくも尊く、そしてすべてのものに本当に祝福と救いをもたらすかずかずの事柄を、ことわざにもあるように、沈黙の深みのなかにしまい込んでしまうなら、わたくしたちは必ずや、だしい嘲笑を買い、タラントを隠した人と同じ刑罰を受けるのではないでしょうか。とはいエバたくしたちは、ちょうど度を超えた食事が身体にとってよくないように、議論の簡潔さに心掛けることにして、(これから申し上げる)お話がりにならないようにいたしましょう。