ご就寝の栄光

  神さまと親しい諸教父のみなさん! そして諸兄弟のみなさん! ご覧ください、今日というこの日のこのお恵みを! ご覧ください、いま誉めたたえられたこの乙女のこの崇高さと荘厳さを! かのじょのこれらの諸神秘は、実に畏るべきものではないでしょうか! それらの神秘は、奇跡に満ち溢れているではありませんか! (このような諸神秘を)もっともふさわしい仕方で然るべく見ることができる人たちは幸せであります! 知性的な感覚を獲ている人たち[1]は幸せ! 一体天使たちのどのような供回りが、生命の源となったおん母[2]の、このご就寝を栄光で飾ったのでしょうか! 一体使徒たちのどのような説教が、神さまを受け容れたおん方の亡骸の埋葬[3]を、厳粛に飾ったのでありましょうか! そして、しみのによって[4]かのじょの息子となることをよしとされた神さまのみ言葉は、このようにあらゆる点で聖性に富み、また、ある意味で神性この上もないといってもいい、このお母さま[5]にお仕えなさりましたが、この神さまのみ言葉は一体どのようにして、(かのじょの)神聖なる魂を、主にふさわしい両のおん手をもってお引き取りにりになったのでありましょう[6]。この神さまのみ言葉は、ああ・・・! なんと慈しみ深い律法の制定者でありましょう! このみ言葉は、律法に服することなく、ご自分が発令された律法をまっとうされたのであります! 実にかれおんみずから、子どもはその両親の恩義に応えねばならぬというをお与えになったのです。こういっておられるのであります! 「おまえは、おまえの父と母とを敬え[7]」と。しかもこれが真実であるということは、聖書のかずかずの神的な託宣の手ほどきを、たといほんのわずかでも、受けたことのあるひとにとってはだれにでも、たぶん明らかなことでありましょう。そして聖書が述べておりますように、「正しいひとたちの魂が、主のみ手のうちにある[8]」とすれば、主のお母さまはなおさらのこと、かのじょのおん子であり神さまであるおん方の両のおん手のうちに、ご自分の魂を委ねていることでありましょう! (そしてみなさん!)この議論は真実であり、いかなる反論をも凌駕するものなのであります!



[1] oi` noera.n kthsa,menoi ai;sqhsn

[2] h` zwarcikh. mh,thr

[3] khdei,a

[4] diVeuvsplagcni,an

[5] h` panagi,a a`uth. kai. qeiota,th oi[a mh,thr

[6] despotikai/j pala,maij ))) th.n i`era.n yuch.n u`pode,cetai

[7] Ex.20,12.

[8] Sg.3,1.