予型の的中

 

  では、わたくしたちは、預言者たちのかずかずの布告をどこに取り扱えばよろしいでしょうか。もしもわたくしたちが、それらの布告は真実であると証明しようとするのであれば、それらはまさしくあなたさまに当てはまるのではないでしょうか。実際、あのダビデの羊の毛、すなわち、ご自分の生みの親(であるおん父)とともに共同統治者・共同王であり[1]、万物の支配者である神のおん子が、あたかも雨の のように降り立ったあの羊の毛は[2]、一体なんだったのでありましょうか。あなたさまであることは、明らか ではないでしょうか。

  また、イザヤが予言したあの乙女は一体だれだったのでありましょうか。イザヤは先見の明をもって、乙女が胎内に子を宿し、わたしたちとともにおられる神であるおん子、すなわち人間となった後もなお神であり続けられたおん子を[3]出産すると、予言したのであります[4]

  さらに、あのダニエルの山はなんだったのでありましょうか。そのダニエルの山から、 であるキリストさまが、男の にかからずに切り出されたのであります[5]。これは、男の助けも借りずに[6]妊娠し、しかしそれでもなお、乙女であり続けられたあなたさまではなかったでしょうか。

  この上なく神的なエゼキエルにも、登場してもらうことにいたしましょう。そして、かれが先見の明をもって予言したとおり、主によって通りぬけられはしたものの、開かれることがなかったあの閉ざされた門を説明してもらうことにいたしましょう。かれによって言われたことの結末を説明してもらうことにいたしましょう かれは、その かずの門があなたさまであったと説明するでありましょう。なぜなら、すべてのものの上に する神さまは、あなたさまを通りぬけて、肉体をお取りになりましたが、しかし、処女性の門をお開きにならなかったからであります。たしかに(処女性の) は、真実永遠に存続しているのであります[7]



[1] o` suna,narcoj kai. sumbasileu,wn tw\/| oivkei,w| gennh,tori

[2] Cf.Ps.72,1.6.

[3] ui`o.n to.n meq~h`mw/n o;nta Qeo,n( tout,esti meta. tou/ gene,sqai a;nqrwpon( kai. Qeo.n diamei,nanta

[4] Cf.Is.7,14.

[5] Dn.2,34.44; Is.28,16 et Ps.118,22.

[6] avspo,rwj

[7] Cf.Ez.44,2.