おん子のお出迎え10
そしてこのとき、これらの言葉に共鳴し、これらの言葉にふさわしい出来事が起こったように見えるのです わたくしにはそう思われるのです。つまり、王さまが、ご自分の生みの親の神聖で汚れなく咎めだてのない魂を、神々しく清い両のおん手で受けいれるために、かのじょの許を訪れたということであります。またかのじょは当然、こう申し上げたことでありましょう。
わたしが産んだ子よ[1]。あなたさまの両のおん手にわたしの魂をお委ねします。あなたさまが非の打ちどころのないものとして守ってくださったの、あなたさまの愛しいわたくしの魂をお受け取りください。わたしはあなたさまに、わたくしの身体をお委ねいたします。わたくしは大地などに、わたくしの身体を委ねたりはいたしません。あなたさまがお宿りになるのをよしとされ、しかもあなたさまがお生まれになっても純潔のままに保たれた(このわたくしの身体を)無傷にお守りください。わたくしをあなたさまのおんみ許に連れていってください。わたくしは、わたくしの腸の実り[2]であるあなたさまのおられるところで、あなたさまと一緒に暮らしていたいのです。わたくしは、このわたくしのもとになんの分け隔てもなくお降りくださったあなたさまの許に、急いで参ります[3]。どうかあなたさまは、わたくしが(この世から)去っていった後、あなたさまが(ご自分の)兄弟とお呼びするのをよしとされたわたくしの最愛の子どもたちのために、慰めとなってください[4]。わたくしたちが手を置くことによって、かれらの祝福に(新たな)祝福を増し加えましょう[5]。
かのじょが、両のおん手を差し伸べながら、集まってきた者たちを祝福なさったのは当然でありましょう。そしてかのじょは、次のような言葉を耳にしたのです。
こちらへおいでください、祝福されたわたしのお母さま。「わたしの休息に[6]」お入りください。女たちのなかでも美しいお方、「わたしの愛しのおん娘よ、さあ、立ち上がって(こちらへ)おいでください」。「ほら、もう冬が過ぎ去り、刈込の季節が訪れたのです[7]」。「わたしの愛しいおん娘よ、あなたは美しく、非の打ち所もありません[8]」。「あなたの香油の香りは、すべての香料に勝っています[9]」、と。
聖なる乙女はこれらの言葉を聞きながら、(ご自分の)魂を、ご自分のおん子の両のおん手のにお委ねになったのです。
[1]
te,knon
evmo,n
[2]
tw/n
evmw/n spla,gcnwn to. ku,hma
[3]
pro.j
se. ga.r evpei,gomai to.n pro.j evme. avdiasta,twj katafoith,santa;
作者は、マリアの死の原因として、おん子の許への上昇と、おん子への熱烈な愛を挙げている。これは伝統的な考えである。他方、マリアはそのおん子と切り離され得ないという、被昇天の説明に重要な考えも見出される。すなわち、「なんの分け隔てもなく」(avdiasta,twj)という語は、受肉によって実現した直接的な親密さを表している。この考えは、『ご就寝第三教話』五で、再び取り上げられる。
[4]
Cf.He.2,11-12:「『わたしは、あなたのみ名をわたしの兄弟たちに知らせる』(Ps.22,23)と、かれが言ったとき、かれは、かれらを兄弟と呼ぶのを恥としなかった」。この箇所には、キリストと人類との親密さと、人類に対する生神女マリアの母性が表されている。
[5]
pro,sqej
euvlogi,an evpi. th.n euvlogi,an auvtw/n dia. th/j tw/n h`mw/n ceirw/n
evpiqe,sewj)
[6]
Ps.132,8:契約の櫃を運ぶ行列詩編である。またPs.95,11を参照せよ。
[7]
Ct.2,10.11.12.
[8]
Ct.4,7.
[9]
Ct.1,3.
Cf.Ct.4,10.