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乙女の身体

 

  それからなにが起こったでありましょうか。わたくしが思いますに、(宇宙の物質を構成する)諸元素の動揺と変化、の声とどよめき、喧騒が起こりました。また、天使たちがせ参じ、(マリアさまと)共に出発し、(マリアさまに)同行し、かずかずのふさわしい讃歌を歌ったのであります。ある天使たちは、非の打ち所のない、そして完全な聖性を備えたおん魂に随行するという務めを果たしながら、天へとおりになる乙女とともに上昇し、このおさまを王の玉座へと導いていきました[1]。また他の天使たちは、神的で神聖な(乙女の)おん身体を輪になってみながら、天使にふさわしいかずかずの讃歌をもって、神のおん母を賛美しておりました。では、聖性この上なく神聖きわまりないおん身体のお側にお仕えした者たちでどうだったでありましょうか。かれらは、れとれそして歓喜の涙をもって、祝福された神的な幕屋を取り巻き、そのすべての肢体を抱きかかえ、抱きしめ、そのおん身体に寄りすがっておりました。そして、その接触によって、かれらは、聖化と祝福に満たされたのであります。実にそのとき、かずかずのは逃げ去り、悪魔たちの一団はめ出され、また四方から寄せ集められて地下のもろもろのへと押しやられたのであります。大気と第五元素と天は、霊の上昇によって聖化され、大地はおん身体の安置によって聖化されました[2]。それだけではありません。水の本性も(この聖化に)らなかったわけがございません。事実、(マリアさまのおん身体は)清い水によって洗われましたが、このとき水がかのじょを清めたのではなく、むしろ水がかのじょによって聖別されたのであります[3]。そのとき耳の不自由な人たちの聴覚は完全に回復いたしました。足の不自由な人たちの足取りは確かなものとなりなりました。目の不自由な人たちはの視覚は新たにされました[4]。そして信仰をもって近づく罪人たちの罪状書きが、引き裂かれたのであります。次になにを(思い描けばよいでありましょうか)。清いおん身体は、清浄なに包まれ、女王さまは寝台の上に横たえられました。そしてかずかずの松明とかずかずの香油、もろもろの葬送の歌、天使たちがみずからの舌で音頭を取った、天使たちにふさわしいことこの上もない歌があったのであります。さらに、使徒たちと神をく教父たちとが、(聖)霊によって作られた神にふさわしいかずかずの歌を歌い上げておったのであります。



[1] Cf.Ps.45,10.

[2] aivqh,r te kai. ouvrano.j h`gia,zonto th/| avnaba,sei tou/ pneu,matoj( gh/ de. th/| kataqe,sei tou/ sw,matoj)

[3] lou,etai ga.r u[dati kaqaqw|/( ouvk auvth.n kaqai,ronti( a`gnizome,nw| de. ma,lista)

[4] 「イザヤの小黙示」と呼ばれる箇所が背景にある。『イザヤ書』(35,5-6)を参照せよ。これは、「マタイ」(11,5)、「ルカ」(7,21-22)、「使徒言行録」(3,7)でも取り上げられている。これは、メシア時代の宇宙的癒やしを告げるものである。『聖母マリアの誕生祭教話』9,11でも、この「小黙示」が言及され、マリアが、人類をその病から解放する救いの業において、おん子と緊密に結びついていることが示されている。