喜びの神秘

  そしてこれ以上の逆説に満ちたことがなにかあるでしょうか。このこと以上に祝福されたことがなにかあるでありましょうか。わたくしは語られたことにれをえ、恐怖に動転しております・・・、若々しい魂をお持ちのみなさん、女預言者のマリアム[1]とともにを打ちながら[2]、「地上に属する肢体を[3]」死なせつつ、輪になって踊ろうではありませんか! わたくしたちは、もろもろの魂の神である主の聖櫃の前で、の声を雄々しく上げようではありませんか! そうすれば、エリコの城壁は、敵対する諸霊の悪意に満ちた要塞は、れ落ちるでありましょう! ダビデと一緒に、(聖)霊において喜び踊ろうではありませんか! 実に今日!主の聖櫃がお休みになられたのであります! もろもろの天使たちのガブリエルと共に!叫ぼうではありませんか! 「めでたし、聖寵満ち充てる(マリア)。主はおん身とともにまします」と! めでたし!み尽くすことのできない喜びの大海! めでたし!苦しみを打ち消すり高い香水! めでたし!すべての心をらげる妙薬! めでたし、お喜びください! あなたさまのおかげで死が退けられ、生命がもたらされたのであります[4]



[1] Maria.m

[2] Cf.Ex.15,20.

[3] Col.3,5.

[4] エジプト脱出の解放の讃歌、エリコ占領の宗教的凱歌、聖櫃の勝利の入場の際のダビデの舞踊は、神の民の諸敵対者に対する神の勝利を歌う。演説者ダマスコの聖ヨハネは、聖母マリアの被昇天を、これと同じ展望のなかに据えている。被昇天は、人類に敵対する諸霊たいする勝利と、死に対する最終的な勝利とを象徴する。本段落の結びでは、勝利の歓喜が木霊する。