歓喜の歴史18
ですから親愛なる兄弟のみなさん、そして教父たちのみなさん!
この輝かしい墓所がわたくしたちに雄弁に物語ることをお見届けになってください。そして事情がこのとおりでありますことは、あの『歓喜物語』第三巻第四十章でも[1]、はっきりと次のように書き記されているのであります。
聖者の列に連なるプルケリアは[2]、キリストさまのために、コンスタンチノープルに実に多くの教会を建てた、と上記の著作で言われております。それらのうちの一つは、神々しいマルキアノス[3]の治世の始めに、あのブラケルネに[4]建立された教会でありました。ところで、これらの貴人たちは、讃美の誉れ高くこの上もなく神聖な神のおん母・終生乙女なるマリアのために[5]荘厳な神殿を建設し、それをあらゆる装飾で飾ったとき、この乙女の、神を宿したいとも神聖なるおん身体を[6]捜し求めました。ちょうどそのころ、エルサレムの総大司教ユベナリオスとパレスチナの司教さまたち[7]とが、当時カルケドンで開催されていた公会議のために帝国の首都に滞在しておりましたので、(プルケリアを始め当地の)貴人たちは、これらの司教さまがたを呼び集め、こう言われました。
われわれは、この上もなく聖なる神の母・終生乙女なるマリアの類い希なる最初の教会が、エルサレムのゲッセマネと呼ばれるところにあると聞きました。しかもその場所は、生命を宿したかのじょの亡骸が[8]納められた場所だと聞いています、と。
他方、ユベナリオスは、これを受けて、こう応えました。
神感を受けた聖なる書物には、神の聖なるおん母マリアの末期に関する叙述は含まれておりません。しかし古来の真実この上ない伝承から、わたしたちは次のことを知っております。
かのじょの栄えあるご就寝のとき、諸国の民の救いのために全世界を駆け回っていた聖なる使徒たちはみな、一瞬のうちに空中に上げられ、エルサレムへと集められました。そしてかのじょのみ前に控えていたとき、天使たちが幻の中にかれらに現われ、優れて力ある霊的存在者たちの[9]神的な讃歌が聞こえてきました。そしてこのようにして、マリアさまは、天の神的な栄光のうちに、曰く言いようのない仕方で(ご自分の)聖なる魂を神さまのみ手にお委ねになりました。他方、神さまを受け容れたかのじょのおん身体は[10]、天使たちと使徒たちの讃歌に伴われつつ葬られ、ゲッセマネにある棺の中に安置されました。そしてその場所で、三日間にわたって、天使たちの合唱隊が休みなく讃歌を歌い続けておりました。ところが三日の後、天使たちの讃歌が止んだとき、弟子たちはそこにいましたが、かれらの内の一人、トマスだけは遠くにいて、そこにおりませんでした。しかしトマスはその三日後に馳せ参じ、神を受け容れたおん身体を伏し拝もうと願いましたので、その場におりました弟子たちは、棺を開きました。ところがどうでありましょう。かれらは讃美の誉れ高きかのじょのおん身体を見出すことがまったくできなかったのです。ただかのじょの屍衣が[11]そこにあるのを、見つけるばかりでした。そしてかれらは、その屍衣から出る曰く言いようのない芳香に満たされつつ、その棺を閉め直しました。かれらはこの驚くべき神秘[12]に打たれてしまい、ただ次のことを思い巡らすのがやっとでした。すなわち、
ご自分の位格において受肉し、かのじょによって人となることをよしとされたおん方は、ご自分が神であるみ言葉、栄光の主であるにもかかわらず、肉においてお産まれになり、しかもご懐妊の後も、かのじょの処女性を汚れなく保たれた。したがってそのおん方は、かのじょがこの代から他界した後も、かのじょの清く汚れないおん身体を不滅に値するものとして敬うのをよしとされ、そのおん身体を共通の普遍的な復活に先立って(天に)移されたに違いないと[13]。
またその場には、尊いことこの上もないエフェソの最初の司教・使徒テモテと、アレオパギタのディオニュシオスとが、使徒たちと共に居合わせていました。それは、偉大なディオニュシオス自身が、この使徒テモテを相手に、やはりその時その場に居合わせた聖ヒエロテオスについて行った談話の中で、証言しているとおりであります。ディオニュシオスは、次のように言っております。
「あなたもご存知のように、わたしたちとかれ[14]、および、わたしたちの神性なる兄弟たちの多くが互いに相連れ立って、生命の元となったおん身体を拝観しに[15]行ったとき、そこには、神の兄弟ヤコブと、神の語り部たちの頂点を極める最古参の頭ペテロも[16]、神の霊に満ちたわたしたちの大司教たちの間におりました。そしてこのとき大司教たちは、拝観を済ませた後で、全能の力を備えた無限のいつくしみを[17]、みなそれぞれのできる範囲内で讃美するのがよろしいと決定したのでした。あなたもご存知のように、これらの神の語り部たちに次いで、かれは[18]、秘儀の手ほどきをする他のすべての者に勝っておりました[19]。かれは、すっかり恍惚となり、完全に忘我の境地に陥ってしまいました。そしてかれは、賛美する対象と交わりを持ったので、かれの話を聞きいていた人であれ、かれを見た人であれ、かれを知っている人も、かれを知らない人も、(その場に居合わせて人たちは)みな、かれが神の霊感を受けた神的な讃美歌唱者である[20]と見なしたのです。では、そのとき、神について語られたことについて、あなたになにを申し上げればよいでしょうか。たしかにわたしの記憶に間違いがなければ、わたしはしばしばあなたの口から、あの神的な感激に満ちた讃歌の一部を聞いたのを覚えております[21]」。
これらのことを聞いた司教猊下たちは、大司教ユベナリオスに、この上なく聖にして栄えある神のおん母マリアの屍衣が収められたあの聖なる棺を、固く封緘した上で自分たちのところに送ってくれるようにと願い出ました。そしてかれらは、送られてきた棺を、ブラケルネに建立された生神女記念大聖堂に[22]安置したのでした。
物語の内容は、以上のとおりであります。
[1]
kai.
evn th|/ Euvqumiakh/| i`stori,a| tri,tw| lo,gw|( kefalai,w| tessarakostw|/
[2]
h`
evn a`gi,oij Poulceri,a
[3]
o`
th/j qei,aj lh,xewj Markianou/
[4]
evn
Blace,rnaij
[5]
th/|
panumnh,tw| kai. panagi,a| Qeoto,kw| kai. aveiparqe,nw| Mari,a|
[6]
to.
tau,thj pana,gion kai. qeodo,con sw/ma
[7]
vIoubena,lioj
to. `Ierosolu,mwn avrciepi,skopon( kai. oi` avpo. Palaisti,nhj
evpisko,poi
[8]
to.
zwhfo,ron auvth/j sw/ma
[9]
kreitto,nwn
duna,mewn
[10]
to.
qeodo,con auvth/j sw/ma
[11]
ta.
evnta,fia
[12]
to.
tou// musthri,ou qau/ma
[13]
tou.to
mo,non ei=con logi,zesqai( o[tiper o` euvdokh,saj katVivdi,an u`po,stasin
sarkwqh/nai kai. evnanqrwph/sai evx auvth/j( kai. gennhqh/nai sarki. Qeo.j
Lo,goj kai. Ku,rioj th/j do,xhj( kai. meta. to.n to,kon th.n auvth/j
a;fqoron parqeni,an diafula.xaj( auvto.j euvdo,khse kai. meta. th.n evnteu/qen
avpobi,wsin to. tau,thj a;cranton kai. avmi,anton sw/ma th/| avfqarsi,a|
timh/sai( kai. metaqe,sei pro. th/j koinh/j kai. kaqolikh/j avnasta,sewj;
聖神女の天への移送が、キリストの受肉をもたらした同じ意思(euvdokh,saj(
euvdo,khse)に関係づけられている。神のこの好意ある意思は、マリアに特権的な境運を与え、処女懐胎と死後の不滅とを保証する。
[14]
ヒエロテオスのこと。
[15]
evpi.
th.n qe,an tou/ zwarcikou/ sw,matoj
[16]
kai.
o` avdelfo,qeoj VIakwboj( kai. Pe,troj( h` korufai,a kai. presbuta,th tw/n
qeolo,gwn avkro,thj)
[17]
th.n
avpeirodu,namon avgaqo,thta th/j qearcikh/j euvsqenei,aj
[18]
ヒエロテオスのこと。
[19]
Pa,ntwn
evkra,tei ))) tw/n a;llwn i`eromustw/n
[20]
qeo,lhptoj
ei=nai kai. qei/oj u`mnolo,goj
[21]
これは、伝ディオニュシオスの『神名論』3,2
(PG 3, 681-684)からの抜粋である。伝ディオニュシオスの著作郡は、6世紀頃に形成された。「生命の元となったおん身体」(zwarciko.n
sw/ma)は、キリストのおん身体であるという可能性もある。しかし伝ディオニュシオスの最初の注解者の一人聖マクシモス(7世紀)は、この言葉が聖なる乙女の遺体として解釈されると考えている。
[22]
evn
tw|/ evn Blace,rnaij domhqe,nti sebasmi,w| oi;kw| th/j a`gi,aj Qeoto,kou