墓所の栄光
み言葉の神的な受肉の寝台は[1]、いわばしとねの床に横たえられるかのように、この上なく栄えある墓所に安置されました。しかしその寝台は、そこから天の婚礼の寝屋へと昇っていかれ、神であるおん子とともに輝かしく君臨し、この墓所を地上に残る者たちのために婚礼の寝台として残されたのであります。この墓所が婚礼の寝屋?
そうです。この地上に残された寝台は、あらゆる寝台に優ってもっとも美しくもっとも豪華なものなのであります。それは、黄金の照り輝きや銀の輝きで、あるいは宝石の輝きで煌めいているのではございません。それは、組み紐や金糸、緋色の布で仕立てられた衣服に包まれていたのでもありません。この寝台は、この上なく聖なる(聖)霊の輝きで神的な光輝を発していたのであります[2]。しかしそれは、地上に残された恋人たちに身体同士の結合をもたらすものではありません。この寝台は、(聖)霊の絆に結ばれた信心深い魂の生命を、すなわち、数ある安心立命のなかでも、もっとも素晴らしくもっとも甘美な、神のもとでの安心立命をもたらしてくれるものなのであります[3]。
この墓所は、エデンの園よりも初々しく美しいものであります。もちろんわたくしは、あのエデンの園にいた敵の誘惑、言ってみれば思いやりに満ちた助言、妬み、欺瞞、エバの柔和さ、信用、甘く苦みのある誘いを語ろうとしているのではございません。エバは、この甘く苦みのある誘いにその精神を欺かれ、またそれによってかのじょは、自分の夫を欺いたのでした。またわたくしは、不従順や追放や死を語ろうとしているのではありません。わたくしはこれらの不幸を語ることによって、この祭典を、悲しみの主題の下に挙行するつもりはないのです。この墓所は、死すべき身体をこの地上から天へと高めました。しかしあのエデンは、人祖を[4]天から地上へと引き降ろしたのです。実際、神的な像にかたどって造られた人間は[5]、あのエデンで、「おまえは土であり、土に帰る[6]」という裁きを受けたのではないでしょうか。
この墓所は、古の幕屋以上に尊いものであります。それは、神的な輝きを発する理性的な生ける燭台を受けいれました。それは、生命をもたらす食卓を しかも捧げ物のパンを載せた食卓ではなく、天のパンを載せた食卓を、物質的な火ではなくて、非物質的な神性の火[7]を載せた食卓を受けいれたのです。
この墓所は、モーセの聖櫃よりも幸いなものであります。それは、(来るべきものの)影や予型を分け前として持つのではなく、真理そのものを分け前として持ったのであります。それは、正真正銘の黄金でできた壷、天のマナ[8]を実らせる壷を(世に)表したのです。この墓所は、(聖)霊という全能の指によって、受肉する神のみ言葉を(刻み)受けた石板を(世に)表したのです。 その石板は、位格化されたみ言葉という黄金の香炉を受けいれた石版、神的な炭火を産み出し、すべての被造物を芳香で満たした石板です。この墓所は、このような石板を受けいれたのであります[9]。
[1]
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pasta.j th/j qei,aj tou/ Lo,gou sarkw,sewj
[2]
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ai;glh| tou/ panagi,ou Pneu,matoj
[3]
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de. desmi,oij tou/ Pneu,matoj yucw/n o`si,wn zwh.n proxenou/san( pro.j Qeo.n
pa,shj avmei,nw kai. glukute,ran kata,stasin)
[4]
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[5]
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katV’eivko,na qei,an gegonw.j
[6]
Gn.3,19.
[7]
a;u?lon
pu/r th/j qeo,thtoj
[8]
Ex.16,33;He.9,4.
[9]
VEdei,xato
ga.r )))) pla,ka e;myucon( Lo,gon Qeou/ daktu,lw| tw/| panalkesta,tw|
Pneu,mati dexame,nhn sarkwqhso,menon( Lo,gon to.n evnupo,staton( to. crusou/n
qumiath,rion( th.n to.n qei.on kuh,sasan a;nqraka kai. pa/san th.n kti,sin
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