乙女の被昇天2
今日、あの知性的な階段が[1] その階段を通って降りてこられたいと高きおん者が、地上で(人々に)見られるようになり、人々と共にお暮らしになった[2]あの生ける階段が、死という階段を使って、この地上からもろもろの天へと昇っていかれました!
今日!あの地上の食卓が[3] 婚礼の習いも知らずに[4]天来の生命のパンを、神性の燃える炭火のパンをもたらしてくださったあの地上の食卓が、この地上からもろもろの天へと上げられていきました。そして東の方の神の門(であるお方)のために、天の扉が開かれたのです[5]!
今日、この地上のエルサレムから、神の都、神の生ける都が、「天のエルサレム[6]」に移されました[7]!
それも、すべての被造物に先だって生まれたお方、おん父から生まれた独り子を、ご自分から生まれたたった独りの初子として宿されたあの地上のエルサレムが!「長子たちの教会[8]」に据えられました!
主の聖櫃、理性的な生ける聖櫃が[9]!おん子のご休息に移されたのであります[10]!
楽園の扉が開かれ、神を身ごもった大地を[11]受け入れました! 永遠の生命の木は、この大地から芽生えました。そしてこの永遠の生命の木は、エバの不従順とアダムの死とを[12]滅ぼされたのです。このキリストさまが、すべてのものの生命の原因であるキリストさまが、岩に穿たれた洞穴を、手付かずの山を[13]、受けいれたのです! 全地を満たす岩は、この洞穴から人手を借りずに切り出されたのであります!
[1]
h`
nohth. kli,max h` e;myuco)))
[2]
Ba.3,38.
[3]
h`
evpi,geioj tra,peza)))
[4]
avpeiroga,mwj
[5]
kai.
th/| katVavnatola,j tou/ Qeou/ pu,lh| pu,lai ouvranou/ evph,rqhsan;
cf.Ez.44,1s.;Ps.24,7.9.
[6]
He.12,23.
「天のエルサレム」に関するさまざまの聖書的表現が
(Ga.4,26; Ap.21,10)、ここに要約されている。生神女の教会論的意義がよく示されている。教会の象徴であるマリアの栄光化は、天の終末論的なみ国を告知する。Cf.
1 D 12.
[7]
evk
th/j evpigei,ou VIerousalh.m h` po,lij tou/ Qeou/ h` e;myucoj pro.j th.n <<a;nw
VIerousalh.m>>
metati,qetai
[8]
He.12,23.
[9]
h`
kibwto.j Kuri,ou h` e;myuco,j te kai. logikh.)))
[10]
Cf.Ps.132,8.
[11]
th.n
qeofo,ron a;rouran
[12]
th.n
parakoh.n th/j Eu;aj kai. th.n ne,krwsin tou/ VAda.m
[13]
a;ntron
lelaxeume,non( o;roj to. avlato,mhton