死と復活

  ああ、ああ! それにしてもなんということでありましょう! わたくしの主のおん母であり生命の源であるお方が[1]、お亡くなりになってしまったのです! そうです! 土から作られたものは[2]、再び土に戻らねばならなかったのです! こうしてそれは、身体を土に返すことによって、土に恵みとして与えられた不滅の生命を、土から再び得て、天へと復活しなければならなかったのであります! (死すべき)この肉体は、ちょうど黄金のように、死という釜戸のなかで陰鬱な死という土塊を捨て去り、清く不滅の肉体となり、不滅の光に輝きながら、墓から復活していかなければならなかったのであります[3]



[1] h` phgh. th/j zwh/j( h` tou/ Kuri,ou mou mh,thr

[2] to. evk gh/j sunteqe.n

[3] :Edei ga.r kaqa,per cruso.n avpobalou/san to. gew/dej kai. avlampe.j th/j qnhto,thtoj pa,coj( w`j evn cwneu,sei tw|/ qana,tw| th.n sa,rka a;fqarton kai. kaqara,n( tw/| fe,ggei th/j avfqarsi,aj evkla,mpousan evxanasth/nai tou/ mnh,matoj* 死は、乙女の身体に真の不死を与える。この考えは、「ご自分の死によって不滅を獲得された」キリストの過越秘義に暗示されている。本節は、パウロの『コリントの教会への第1の手紙』(15,49-55)に基づいており、その書簡に見える語彙が、ここでも使われている。