神の母とおん子の再会

 

  今日、神のおん母は、かのじょに第一の存在のを与えたくださったおん方によって、第二の存在を受け取りました。かのじょの方は、第二の元を、すなわち身体的な存在の元をそのおん方にお与えになっていたのです。そしてそのおん方は、おん父をご自分の神的な存在の元として有しているとしても、第一の永遠の存在の時間的な元を持ってはおられなかったのであります[1]

  シオンよ! 生命ある神的な山がお住まいになった神性にして聖なる山よ! その山で石柱油注がれ[2]、人間の本性に神性が注油されたところの新しきベテルよ[3] 喜びなさい! あなたのところから、かのじょのおん子が、天の高みへと上げられていったのです[4]。宇宙を包み全世界にみなぎる雲よ! 準備しなさい! もろもろの風のよ! 使徒たちを地の四隅からシオンへとお通ししなさい! 「雲のように」、そしてのように「舞い上がり」、神のおん母を崇敬するために、すべての復活の原因である(かのじょの)亡骸へと向かう「これらの者たちは、何者でしょう[5]」! 「太陽のように」輝き、「すべてが美しく」、「まばゆい光をちながら昇っていくあの乙女は! だれでありましょう[6]」! ()霊の竪琴である使徒たちの舌は歌声を上げてださい! 神の語りたちのうちで頂点をめる者たちは、を打って喜びの声を上げなさい! 選びのであるヒエロテオスさま! 神の霊によって聖化されたヒエロテオスさま! 神との(神秘な)一致によってかずかずの神的な事柄を受け、そして学んだヒエロテオスさま[7] すべてを上げてその身体から出て(神的な恍惚の域に達して)ください[8] すべてを上げて意気揚々と旅立ち、そしてかずかずの讃歌を高らかに歌ってください! すべての民は手を打ち鳴らし[9]、すべての人は神のおん母を賛美してください! 天使たちよ! 死すべき身体を崇敬しなさい!

イスラエルの娘たちよ! 王妃の後に従って、かのじょのみ()霊によって若やいだ乙女として振る舞いなさい! そしてかのじょを花婿のところまでお連れして、主の「右に[10]」ご案内しなさい。主よ、来てください! こちらへ降りてきてください! そしてあなたが受けた養育のるべき費用をおん母にお支払いください! 神々しき両のおん手をお広げになって、おん母の霊魂をお受け取りください! ああ! 十字架の上で(ご自分の)霊をおん父のみ手にねられたお方さま! なにかしら甘美な言葉で、かのじょにきかけてください!

来なさい、「わたしに近しい」美しい乙女よ[11]。処女の美しさで太陽よりも照り輝く娘よ。あなたはわたしに、あなたの持てるものを分け与えてくださったのです。こちらへ来てください。わたしと共にわたしの持てるものをともに享受しましょう。さあ、息子のところに来てください。お母さん! さあ! 来てください。あなたから産まれ、あなたとともに貧しさに耐えたこのわたしと、一緒に(世を)治めましょう[12]

ご出立ください! 女王さま。ご出立ください! モーセのように、「(ネボ山に)登って」「死んでは」なりません[13] むしろ、お亡くなりになって、お昇りください! から出たものを(い死によって)塵にお返しください! そうすれば、塵から出たものは、あなたさまと共に(天に)上げられていくことになるのです!

 神の民のみなさん! 上げてください! あなたがたの目を上げてください! そしてご覧ください! 万軍の神である主の聖櫃がシオンにあるのです! しかも使徒たちがこの聖櫃のらに自らの身体をもってえ、神を受け容れ生命のとなったおん身体[14]に、最後のご奉仕をしているのです。そればかりではありません! もろもろの天使たちが畏敬の念を抱きつつ、非質料的で不可視的な仕方で取り巻きながら、自分たちの主のおん母にしく付き添っているのです。主もおん自ら立ち合っておられます  あらゆるところに現存し、あらゆるものを満たし、あらゆるものを包みながら。しかし主は、いかなる場所にも限定されません。なぜならすべてのものは、すべてのものを造りすべてのものをまとめ合わせる原因である主ご自身のうちにあるからです[15]。ご覧ください! アダムの娘であり神のおん母である乙女が、アダムのゆえにそのお身体を地にお返しになりました。しかしかのじょは、そのおん子のゆえに、ご自分のおん魂をもろもろの天の幕屋におねになったのです。聖なる都よ、喜びなさい! そして(これまでの)かずかずの賛美に加えて、さらに永遠の賛美を受け取りなさい! もろもろの天使たちは、神的な幕屋の過越[16]先んじて、墓所をえなさい[17]()霊の輝きで、この墓所を美しく飾りなさい! かずかずの香油を準備しなさい! そしてまったく汚れなく、とてもいいいのするおん身体に香油を塗りなさい! 清流はみに近寄って、祝福の汚れなきおんから、祝福を汲み取りなさい。(マリアさまは)おん身体を安置されたのですから、「大地は喜びなさい[18]」! 大気は、霊の上昇に喜びえなさい! のように甘美で恵みでいっぱいの微風は、その風を吹かせなさい! 全被造物は、神のおん母の昇天を[19]盛大に祝いなさい! 若者たちのもろもろのいは、喜びの叫びを上げなさい! 雄弁家たちは、かずかずの讃歌をもって雄弁をいなさい! 賢者たちの心は、この驚きを哲学的に考察しなさい[20] 礼節を知る白髪の老人たちは、観想の実りを結びなさい[21] すべての被造物は、ご馳走を持ち寄りなさい! これでも、ふさわしい賛美のごくわずかの部分にも達しないかも知れませんが・・・。



[1] Sh,meron avrch.n lamba,nei deute,raj u`pa,rxewj u`po. tou/ do,ntoj auvth/| th.n avrch.n th/j prote,raj u`pa,rxewj( h` dou/sa deute,raj avrch,n( th/j swmatikh/j le,gw u`parxewj( tw/| mh. evschko,ti avrch.n cronikh.n th/j prote,raj kai. avi?di,,ou u`pa,rxewj( ei, kai. to.n Pate,ra avrch.n ei=cen w`j aivti,an th/j auvtou/ qei,aj u`pa,rxewj)

[2] Gn.28,18.

[3] h` ne,a Baiqh,l( evn h-| sth,lh h;leiptai( avnqrwpi,nh fu,sij criome,nh qeo,thti)

[4] ヤコブによってベテルに立てられた石柱の追憶に、オリーヴ山からのイエズスの昇天、主がご自分の在所とされたバシャンの山(Ps.68,16-19)が結びつけられている。

[5] Is.60,8.

[6] Ct.8,5;4,7;6,10.

[7] 伝ディオニュシオスの影響は、とりわけ七世紀の聖マクシモス以来、東方教会では顕著である。ダマスコの聖ヨハネの『正統信仰論』は、伝ディオニュシオスの著作からの多くの引用を含んでいる。ここに登場するヒエロテオスは、『神名論』の中で、ディオニュシオスの師として描写されている。演説者は、ここで、既に『ご就寝祭第二教話』の「歓喜物語」に引用された『神名論』 (.3,2;PG 3,681-684) を念頭に置いている。

[8] o]loj evxista,sqw tou/ sw,matoj

[9] Ps.47,2.

[10] Ps.45,15.

[11] Ct.2,10;4,7.

[12] 既出の『詩編』第45番が、マリアが主の傍らでその王権に与ることを暗示していた。ここではそれが、マリアとそのおん子との緊密な生命の交わりの必然的な結果として、端的に表明されている。

[13] Dt.32,49-50.

[14] to. zwarciko.n kai. qeodo,con sw/ma

[15] Auvto.j o` Ku,rioj pa,restin( o` pantacou/ parw.n kai. ta. pa,nta plhrw/n kai. perie,pwn to. pa/n( ou- to,poj ouvdei,j~ evn auvtw/| ga.r ta. pa,nta w`j poihtikw/| kai. sunektikw/| aivti,w|; cf.Jr.23,24 et Sg.1,7.

[16] th/| diaba,sei tou/ qei,ou skhnw,matoj

[17] 契約の櫃のヨルダン川横断に基づいている。『ヨシュア記』4,8を参照せよ。そこでは、十二個の石を担ぐ者たちが、契約の櫃に先立ち、記念碑を建てる場面が描写されている。

[18] Ps.96,11.

[19] th.n th/j qeomh,toroj a;nodon

[20] to. qau/ma filosofei,twsan

[21] ta.j qewri,aj karpoforei,twsan