救いの果実

  ああ、ヨアキムとアンナは、なんと幸せな夫婦でありましょう! そしてこの夫婦には、汚れたところが実になにひとつないのです。主がどこかでいわれていたように、あなたがたは、あなたがたのが結ぶ実によって真価を認めてもらえるのであります。こういわれています。「あなたがたは、かれらの結ぶ実によって、かれらの真価を認めることができる[1]」と。あなたがたのこれまでの生活は、神さまを喜ばせるものであり、あなたがたから生まれてくる娘さんにふさわしいものだったのであります。なぜならあなたがたは、(これまで)慎ましくかつ敬虔に生活することによって、乙女の至宝、(おん子の)ご出産以前にも乙女、ご出産のときにも乙女、そして、ご出産のあとでも乙女、精神においても魂においても肉体においてもただひとり永遠に純潔であり続ける乙女ををもたらされたのでありますから。実際、慎ましさからお生まれになった乙女が、あの唯一の光を、しかもその光を非物体的にお生みになったおん方のよしとされるがままに、物体的にご出産せねばならなかったのであります。そしてこの光は、(光を)産み出す光ではなくて、むしろ永遠に産み出される光であります。産み出されること、これが、この光のペルソナ的な唯一の特性[2]なのであります。ああ、なんという驚異が、おお、なんという結合がこの少女のうちに起こったことでありましょう! 不妊の女からの子どもといい、子を産む乙女といい、神性と人間性との結合[3]といい、パトスとアパテイアの結合といい、生と死の結合といい、なんということでありましょう。いずれ、ありとあらゆるところで、より劣ったものが、より優れたものに敗北させられることになるでありましょう。そして、ああ、主よ! どれもこれもすべては、わたくしの救いのためなのであります。実にあなたさまが、この救いを達成なさったのは、天使たちをとおしてでも、(他の)被造物をとおしてでもありません。むしろ、あの最初の創造のときと同じように、あなたさまおんみずからが、(このわたくしの)再創造[4]をも成し遂げてくださったのであります。あなたさまは、かくもこのわたくしを、愛してくださったのです。ですからこういうわけで、わたくしは、喜び踊り、誉めそやし、喜んでいるのであります。そしてわたしくしは、再びかずかずの驚異の源に戻りたいと思います。わたくしは歓喜の奔流に満たされて、(聖)霊の竪琴をで、そして、神的な誕生の讃歌を歌うのであります。



[1] Mt.7,16.

[2] u`postatiko.n mo,non ivdi,wma

[3] mi,xij

[4] avna,plasij