第3節

神のデュナミスとエネルゲイア

 

 先ほど、私は、つまり本章第1節の末尾で、『諸原理について』第1巻2章の12を引用しながら、オリゲネスが、神のエネルゲイアを、宇宙万物の創造と摂理そして管理にかかわる神の力の活動性として理解していることを明らかにした。すなわちその引用箇所で、オリゲネスは、神が、その力動的なエネルゲイアのうちに、宇宙万物と、その創造の始めから、関わりを持つ御者であると考えていたのである。彼の思想の内に表明されている、神の、宇宙万物に対する、そのエネルゲイアを通した、力動的な働きかけは、いま前節で明らかにした、東方キリスト教会の伝統的な考え方に通じるオイコノミアという概念の下に、オリゲネスによって捉えられているのは明らかであろう(12)。

 しかしオリゲネスは、神と宇宙万物との、そうしたオイコノミアにおける関わり合いは、そのエネルゲイアによってのみ媒介されると考えているのではない。彼は、宇宙万物の創造と管理と救済のオイコノミアの内で働く神のエネルゲイアについて語る一方で、また、神の力(virtus/du,namij)を、オイコノミアの内で捉え、しかも神のエネルゲイアと同じ外延を持って、宇宙万物に関わるものとしても語っているのである。たとえば、オリゲネスは、神の力・デュナミスについて、次のように述べている。

 「したがって、神の力とは、神がそれによって活躍するものであり、それによって神がすべての見えるものと見えないものとを造り上げたり、包含したり、治めたりするものであり、それによって、神がそれらの摂理を引き受けるところのすべてのものにとって不足ない方となっているものであり、(また)その力は、それらすべてのもといわば結合して一つになり、すべてのものと共にあると理解されねばならない」(13)。

 また、

 「すべてのものは、その言いようのない神性の力において、神によって包摂され、まとめられていると信じられねばなりません」(14)。

 更に、

「言いようのない術と力によって万物を管理しておられる神について」(15)

 このように神の力・デュナミスは、神のエネルゲイアの場合と同じように、神による宇宙万物の創造と管理と救済のオイコノミアの内に捉えられており、また神は、その力・デュナミスにおいて、宇宙万物に関わるものと理解されているのである。したがって私たちは、オリゲネスにとって、神の力・デュナミスは、同じく神がそれにおいて宇宙万物に関わるところの神のエネルゲイアと、オイコノミアにおいて、その外延を同じくしている言うことができる。

 

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