乳と蜜

その典礼的な象徴体系は、ローマのヒッポリュトスによって確証される。カテーナによってヒッポリュトスに帰されている非常に短い第一級のテキストは、創世記49,15b:「そして彼は、自分の土地が肥沃であることを見た」を注解している。ヒッポリュトスは言う:その土地は、「豊穣な、すなわち、肥沃な私たちの主の肉を表している。なぜなら、他ならぬその土地から乳と蜜が流れ出るからである[1]」と。ここで、ヒッポリュトスがどのような側面において主の肉を考えていたかは、正確に述べられていない。しかし、使徒伝承(Traditio Apostolica)は、明白にユーカリストの捧げ物に関してそれを言うであろう:

「このとき、奉納物が助祭たちを通して司教に渡されなけれならない。彼は、キリストの肉を表すためにパンを祝福しなければならない。彼は、キリストを信じたすべての人々のために流された血を表すために葡萄酒が混ぜられた杯――「私はあなた方に、乳と蜜の溢れる土地を与えるだろう」と神が言ったとき、私たちの父祖たちに為された約束の成就のために混ぜ合わされた乳と蜜――を祝福しなければならない。ところで、キリストが与えたもの、それは、ご自身の肉である。信者たちは、彼のみ言葉の甘美さによって心の苦味を甘味に変えることによって、幼子たちの如くにその肉から糧を得る[2]」。

したがってキリストの肉、約束された新しい土地、それは、信者たちが糧を得るところのユーカリスト的なパンであり、乳と蜜に満ち溢れるところのユーカリスト的なパンである。我々はここに、キリストの霊的な諸々の恩寵に適応された乳と蜜の象徴体系を見出す。ヒッポリュトスの式文の中にあるエチオピア語で保存された別のテキストは、新受洗者たちの乳と蜜の中に、教会によって獲得された諸々の恩恵の象徴を示している:「私たちは、私たちを育ててくれた私たちの母にして聖なる教会から流れ出る乳と蜜をあなたに差し出す[3]」。この典礼的な総体は次のことを明瞭に示している:約束された土地の予型論は、キリスト教的著作家たちによって展開された一つのテーマであっただけでなく、キリスト教的共同体の典礼の中でいわば「上演された」生ける教えであるとういこと。この象徴体系は、洗礼とユーカリスト的神秘とに結び付けられている。それはつまり、その象徴体系が、初期キリスト教徒たちの生活の中でどれほどの深みに達していたかを意味する。



[1] GCS,I,pars2,p.63,frag.32(Achelis).

[2] Trad.apost.,23; éd.Dix, p.40.

[3] A Salles, Trois antiques rituels de baptême, Paris, 1959, p.62. Rpprocher aussi un autre texte attribué à Hippolyte où le symbolisme de la terre bénie est appliqué à la Vierge, à l'Église et au Christ. Voir: N.Bonwetsch, << Drei georgisch erhaltene Schriften von Hippolytus>>, TU, 26 (N.F.11),1a, 1904, p.66-67, et surtout PO, 27 (1954), 168-169 (Bénédictions de Moise).

 

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